20150809 牧会魂(Soul of Ministry)その22015年08月09日

「人はうわべを見るが、主は心を見る」サムエル記 第一 16章7節d

「牧会魂」の授業での一番重要な学びは、牧師としての献身の動機について再確認出来たことでした。「この聖書のみことばが与えられて、献身を決意しました」というお証しをよく聞きますが、私自身も15歳の時に青年宣教大会で頂いた聖書箇所(士師記5:23)と当時のノートを大切に保管しています。しかし、授業では献身の動機について、「なぜあなたは牧師になるのか?(なりたいのか?)」について過去を振り返りながら分解する作業を経験しました。献身の動機について深く問われる中で、なぜ自分はそこまで教会の奉仕を熱心にできるのか(時には疲れ切ってしまうくらい)、なぜ結婚後も家族との時間を犠牲にして教会優先で奉仕できるのか、という疑問が出てきました。その大きな要因は幼少期の経験にありました。小学校4年生の冬に関東から関西に引っ越してきた私は、クラスメイトの歓迎を受けた直後にクラス全員から一定期間、無視をされるという経験をしました。本当に辛い経験でした。一方で茨木聖書教会では同世代の仲の良い友達に恵まれ、学校で辛い経験をする自分を守ってくれるシェルター(防護壁)のような場所でした。この温かくて自分を受け止めてくれる教会にずっといたい。両親の牧会が順調であれば、この教会に長く通うことができる。11歳か12歳頃でしょうか、喜んで教会奉仕を手伝う一方で、毎週の週報で報告される礼拝出席人数に一喜一憂していたのを思い出します。奉仕に対する熱心さの裏には、家族を助けることを通して、何が何でも自分を守りたいという動機があることが分かりました。スモールグループの中で涙ながらに自分の過去の経験や気づきを同級生に打ち明け祈ってもらう中で、もう幼少期から作り上げてきた生き方に縛られる必要がないことを悟りました。今や私にとっては「奉仕を頑張って周りに認められる自分」よりも、「キリストにより新しくされたからこそ、弱さもオープンにできる自分」に安心することができます。とても感謝な経験でした。次回は講義外で教えられたことについて話します。(笠川路人伝道師)

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