20140727 より良いものを神さまに2014年07月27日

ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。       創世記4章3~5節

なぜ「主はアベルのささげ物に目を留め」、「カインのささげ物に目を留められなかった」のでしょうか。神さまは「地の作物」より「羊」を好まれるお方なのでしょうか。この問いへの答えは、読み手の想像の中で考えるのではなく、聖書から読み取るべきです。聖書には、よく読むと「主はアベルとそのささげ物とに目を留められ」「カインとそのささげ物には目を留められなかった」とあります。ここにはっきりと「アベルとそのささげ物」「カインとそのささげ物」と、「献げる人」と「献げた物」とを区別した表現が見られます。つまり神さまは、「献げ物」に目が向けられたのではなく、「献げる人」に目を向けられたのです。
アベルは、神さまへの献げ物を、まず羊の中から初子を選び、その初子の中からさらに最上のものを選んでいます。一方カインは「地の作物から主へのささげ物を」とだけ記されているのみです。この表現の違いから、アベルは神さまのためにより良いものを献げようとしていた姿勢が読み取れますが、カインは適当に選んでいるように読めてしまいます。神さまの目は、まさにその「献げる人」の心に、思いに目が向けられ、カインとアベルに対する対応の違いが生じたのです。
さて私たちも、人と比較してより良いものをという視点ではなく、神さまと私との間で常にアベルのようにより良いものを献げようとしているでしょうか。神さまは今も、その献げる人の心に目を留めてくださいます。ですから礼拝の中で献げる「祈り」「賛美」「献金」についても、カインのように適当なものとならないように、常にマンネリ化と戦いながら、アベルのようにより良いものを意識しながら献げていきましょう。

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