20130421 忠実さを培う2013年04月21日

「忠実な人は多くの祝福を得る」           箴言28章20節

 上記の聖書のことばは神様の約束です。忠実さは私たちの人生に大きな祝福をもたらします。神様から豊かな祝福をいただきたかったら忠実であることです。とりわけ小さなことに忠実であることです。私たちの忠実さはどこで量られるのでしょうか。それは公の場所ではなく、むしろ個人的な、だれも見ていないところで量られるのです。もし私たちが不忠実であれば、私たちは自分の人生を問題だらけにしてしまいます。私は学生時代に新聞配達をしていたことがあります。新聞は忠実な配達員によって毎朝郵便受けに届けられます。そのとき私は毎朝200部ほど配達していました。私はしばしば配達区域の中で一軒だけ入れ忘れました。すぐに店に連絡が入り、店の他の従業員が新聞を届けることになりました。もし新聞が忠実に毎朝届けられなかったら、顧客は怒り出し、信用は失われ、ほかの新聞に代えられてしまいます。
 さて、聖書も神様の奉仕者としての資格について忠実であることを求めています。初代教会の礎を築いたパウロは次のように言っています。「キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。」(テモテへの手紙第一1章12節)神様が彼を伝道者としてその職務に選び出したとき、その基準は忠実であることでした。次に、パウロがテモテを後継者として選んだとき、その基準も忠実であることでした。彼はテモテについて「私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。」と語っています。さらに、パウロはテモテに奉仕者を選ぶときの基準について次のように助言しています。「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(テモテへの手紙第二2章2節)聖書は奉仕者の選定基準について忠実であることを第一の資格としています。やがて私たちはみな神様の御前に立つことになるのです。そのとき何が吟味されるのでしょうか。それは忠実であったかどうかです。神様から「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われたいものです。