「主のことば」に信頼する ― 2025年11月30日
主のことばは 混じり気のないことば。
土の炉で七度試され 純化された銀。 詩篇12篇6節
詩篇作者は、「主(神さま)のことば」に対する思い、評価について、「混じり気のないことば」、「土の炉で七度試され 純化された銀」のようだと表現しています。そしてこの「主のことば」に対する思い、評価は今を生きる私たちにも共通するものです。
詩篇作者は、「主のことば」に対する厚い信仰、強い信頼の関係の中にあるからこそ、次のように、主に呼びかけています。
主よ お救いください。
敬虔な人は後を絶ち
誠実な人は 人の子らの中から消え去りました。 詩篇12篇1節
私も、「主のことば」に対して、この詩篇作者と同じ思い、同じ評価を持っています。しかし、そのような「主のことば」に対する厚い信仰、強い信頼は、最初からあったのではありません。神さまと日々向き合い、時間をかけ、徐々に徐々に作られ、整えられていった思い、評価です。
そして今、そのような「主のことば」に信頼して歩んでいる人々が、全世界に約23億8千万人おられます。つまり私ひとりが「主のことば」の確かさを、ゆるぎなさを覚えているのではありません。また私の限られた人生という時間の中だけで成り立っている思い、評価でもありません。今生きている人たちだけでなく、これまで何十億、何百億という人たちの目に触れ、読まれ、語られ、伝えられつつ、残り続けてきた「ことば」です。
そしてクリスマスという、イエスさまの誕生を覚えてお祝いするこの時期は、「主のことば」への信頼を確認する良い機会です。イエスさまという救い主の誕生も、旧約聖書の時代から語られてきた「主のことば」の成就であること。また救い主イエスさまは、2千年前の過去の人たちにとっても「救い主」であると同時に、今を生きる私たちにとってもやはり「救い主」であるということ。これらのことを確認しつつ、クリスマスに「主のことば」に対する信仰、信頼をより強くし、より整えていく機会にしましょう。
今週も、「混じり気のない」「土の炉で七度試され 純化された銀」のような「主のことば」にしっかり向き合い、信頼して歩みましょう。 (吉持日輪生)
土の炉で七度試され 純化された銀。 詩篇12篇6節
詩篇作者は、「主(神さま)のことば」に対する思い、評価について、「混じり気のないことば」、「土の炉で七度試され 純化された銀」のようだと表現しています。そしてこの「主のことば」に対する思い、評価は今を生きる私たちにも共通するものです。
詩篇作者は、「主のことば」に対する厚い信仰、強い信頼の関係の中にあるからこそ、次のように、主に呼びかけています。
主よ お救いください。
敬虔な人は後を絶ち
誠実な人は 人の子らの中から消え去りました。 詩篇12篇1節
私も、「主のことば」に対して、この詩篇作者と同じ思い、同じ評価を持っています。しかし、そのような「主のことば」に対する厚い信仰、強い信頼は、最初からあったのではありません。神さまと日々向き合い、時間をかけ、徐々に徐々に作られ、整えられていった思い、評価です。
そして今、そのような「主のことば」に信頼して歩んでいる人々が、全世界に約23億8千万人おられます。つまり私ひとりが「主のことば」の確かさを、ゆるぎなさを覚えているのではありません。また私の限られた人生という時間の中だけで成り立っている思い、評価でもありません。今生きている人たちだけでなく、これまで何十億、何百億という人たちの目に触れ、読まれ、語られ、伝えられつつ、残り続けてきた「ことば」です。
そしてクリスマスという、イエスさまの誕生を覚えてお祝いするこの時期は、「主のことば」への信頼を確認する良い機会です。イエスさまという救い主の誕生も、旧約聖書の時代から語られてきた「主のことば」の成就であること。また救い主イエスさまは、2千年前の過去の人たちにとっても「救い主」であると同時に、今を生きる私たちにとってもやはり「救い主」であるということ。これらのことを確認しつつ、クリスマスに「主のことば」に対する信仰、信頼をより強くし、より整えていく機会にしましょう。
今週も、「混じり気のない」「土の炉で七度試され 純化された銀」のような「主のことば」にしっかり向き合い、信頼して歩みましょう。 (吉持日輪生)
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