神さまの栄光は去るようで去らない2021年02月28日

彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは、神の箱が奪われたこと、また、しゅうとと夫のことを指したのであった。彼女は言った。「栄光はイスラエルから去った。神の箱が奪われたから。」
                     サムエル記第一 4章21~22節

 上記聖書箇所の「彼女」とは、エリの息子ピネハスの妻のことです。妻は、夫であるピネハスの日々の行いを間近で見ていました。そしてかつて神さまがサムエルに告げられた預言についても知っていたかもしれません。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。(中略)その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」             
                    サムエル記第一 3章11~14節(抜粋)

 まさにこの神さまの預言通り「その日」の出来事が起きてしまったからこそ、ピネハスの嫁は恐れ、そして「栄光がイスラエルから去った」とつぶやいたのでしょう。しかし、このイスラエルという国は、今も中東において存在しています。ここにこそ大きな神さまのメッセージがあります。神さまが選んだというイスラエルの民は、常に紆余曲折を経験し、捕囚、離散を何度も経験し、国土を失うこともありましたが、しかし神さまの愛と憐みのゆえに、今も存在しているのです。

しかし、あなたはその大いなるあわれみにより、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、お見捨てにもなりませんでした。あなたは、情け深くあわれみ深い神です。
                          ネヘミヤ書 9章31節

 あなたを選んでくださった神さまは、あなたに対しても同じようにあわれみ深い神さまとして共に歩んでくださいます。             (吉持日輪生)