情緒的な健康を求めて2019年02月10日

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。                    詩篇 139篇23節                                    
 神学校の2年目の牧会演習(インターンシップ)の中で、担当教授が教会での人間関係について取り扱った良い本があると紹介してくれました。「情緒的に健康な教会をめざして」(ピーター・スキャゼロ著)との出会いは、教会内の人間関係における情緒や感情といった課題に向き合う機会となりました。「情緒の健全さと霊的な成熟は分離できない関係にある」(1)、「どんな教会の働きも、教会や働きに携わるリーダーの情緒的・霊的な健全性にかかっている。」(2)とスキャゼロ師は言います。情緒的・霊的な健全性を求めるためには、普段は見過ごしてしまう(気づかないような)情緒や感情の課題に、注意深く向き合うことから始める必要があります。「なぜあの時に怒りを感じたのか」「なぜ問題を避けてしまったのか」日々起こる出来事の中で、自分の心が何を感じたか、その結果としてどんな行動をとったのかを観察します。その結果、実は私たちは無意識的に(時には意識して)自らが育った家族や過去の経験から受けた価値観や考え方を、教会という共同体の中に持ち込んでいることに気づきます。例えば、私自身は育った家庭の影響から、意見の対立を極端に避けようとする(やり過ごして我慢しようとする)傾向があります。表向きは平静を装っていても、心の中は怒りが渦巻き、不満が溜まってしまう時があります。しかし、それら情緒や感情の課題に気づき、素直に認め(悔い改め)、自らの弱さや限界を共有できる時に、教会はイエス・キリストの似姿を目指し、情緒面においても成長していく共同体となっていきます。
 目に見える奉仕や成果が注目される現代にあって、人間の心の内面や情緒面の課題について真正面から取り組むのは、面倒で手間がかかることに思えるかもしれません。しかし、ダビデが「私を探り、私の心を知ってください。」と詩篇に書いているように、神さまの望まれる人間関係を実現できるように、謙遜な心で情緒や感情での課題に向き合っていきたいと思います。(笠川路人)

(1) 「情緒的に健康な教会をめざして」52頁
(2) 「情緒的に健康な教会をめざして」28頁