福音はシンプル(簡単)か2018年06月10日

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。              コリント人への手紙第一 15章1節

福音の全体像の話を始める前に、一つの大切な問いがあります。それは「福音はシンプル(簡単)なものかどうか」という質問です。世界中の人にイエス・キリストの福音をいかに分かりやすく、シンプルに伝えることができるか。これまでキリスト教会は福音の伝え方、説明の仕方について考えてきました。例えば、有名な伝道ツールである「四つの法則」はその代表例でしょう。「道端で初めて出会った人に対して福音を語り、信仰決心まで導く」ことが出来るようにと、聖書の語る真理とキリスト教の中心的な教えがまとまった小冊子です。しかし、もし福音が簡単で、分かりやすく、かつタダ(無料)で受けることができるならば、どうして日本において福音を伝え、信じてもらうことは簡単ではなく、難しいのでしょうか。キリスト教の教えは素晴らしいけれども、福音を受け入れることと、クリスチャンとして生きることの間には大きなギャップがあるとも言われます。
2000年前のクリスチャンにとっても、「福音」をどう理解し、信じるかということは大切な問いでした。パウロは今日の聖書箇所15章1節に続く2節において「また、もしあなたがたがよく考えもしないで(福音を)信じたのでないなら」と語りかけます。コリント人への手紙第一15章のパウロの福音に対する説明を読むときに、福音はキリストの復活の事実に基づくものであり、この世界の初めから終わりまでを含んだ壮大なスケールで提供される、神さまの恵みのわざであることを知ることができます。「信じれば救われる、罪が赦されて天国に行ける。」というシンプルにまとめられた福音の表現を越えて、2000年前にイエス・キリストの弟子たちが、そして使徒たちが命がけで伝えた福音とは何であった知ることは大切です。福音の深い理解が日本人の心を貫き、クリスチャンとして生きる私たちに希望と力を与えるものになることを願います。それでは次回から、福音の全体像を幾つかのポイントから学び、福音を受け入れ、福音に生きる人生はどのような歩みになるのかについて考えていきたいと思います。(笠川路人)

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