栄光と御力を主にお返しします ― 2026年04月07日
力ある者の子らよ。主に帰せよ。
栄光と力を主に帰せよ。
御名の栄光を主に帰せよ。
聖なる装いをして主にひれ伏せ。 詩篇29篇1~2節
詩篇29篇は上記のように始まります。その意味は、神さまの圧倒的な栄光と御力を認め、それらが主(神さま)のものであることを促すものです。
また3節以降は、創世記1章1節から始まる「天地創造」を思い起こさせます。
はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
創世記1章1~3節
主の声は水の上にあり
栄光の神は雷鳴をとどろかせる。
主は大水の上におられる。
主の声は力強く
主の声は威厳がある。 詩篇29篇3~4節
「光、あれ」(創世記1章3節)の神さまの御声が、闇を打ち破る「雷鳴」のように描かれ、「主の声は 杉の木を引き裂き」(5節)は、雷に打たれた「杉の木」を思い起こさせます。また「子牛のように…若い野牛のように 跳ねさせる」(6節)は、地震(火山の噴火と共に発生する火山雷)の描写として読むことができます。また「大森林を裸にする」(9節)からは雷や噴火によって発生した森林火災の後を思い起こさせます。
私が執筆する「恵泉」の最後にふさわしい詩篇と思わされました。吉持章の時代から始まり、笠川徹三牧師がそれを25年間引き継がれ、さらにこの12年間、創世記から1章ずつとり取り上げ(途中笠川路人牧師が執筆した時期もありました)、なんとか書き続けられたことを神さまに感謝しています。そして、それら全てが神さまの栄光と御力によることでしたと、神さまに栄光と御力をお返しする思いです。
これまでのご愛読を心から感謝いたします。 (吉持日輪生)
栄光と力を主に帰せよ。
御名の栄光を主に帰せよ。
聖なる装いをして主にひれ伏せ。 詩篇29篇1~2節
詩篇29篇は上記のように始まります。その意味は、神さまの圧倒的な栄光と御力を認め、それらが主(神さま)のものであることを促すものです。
また3節以降は、創世記1章1節から始まる「天地創造」を思い起こさせます。
はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
創世記1章1~3節
主の声は水の上にあり
栄光の神は雷鳴をとどろかせる。
主は大水の上におられる。
主の声は力強く
主の声は威厳がある。 詩篇29篇3~4節
「光、あれ」(創世記1章3節)の神さまの御声が、闇を打ち破る「雷鳴」のように描かれ、「主の声は 杉の木を引き裂き」(5節)は、雷に打たれた「杉の木」を思い起こさせます。また「子牛のように…若い野牛のように 跳ねさせる」(6節)は、地震(火山の噴火と共に発生する火山雷)の描写として読むことができます。また「大森林を裸にする」(9節)からは雷や噴火によって発生した森林火災の後を思い起こさせます。
私が執筆する「恵泉」の最後にふさわしい詩篇と思わされました。吉持章の時代から始まり、笠川徹三牧師がそれを25年間引き継がれ、さらにこの12年間、創世記から1章ずつとり取り上げ(途中笠川路人牧師が執筆した時期もありました)、なんとか書き続けられたことを神さまに感謝しています。そして、それら全てが神さまの栄光と御力によることでしたと、神さまに栄光と御力をお返しする思いです。
これまでのご愛読を心から感謝いたします。 (吉持日輪生)
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