「おごらず」「高ぶらず」「足を踏み入れず」 ― 2025年04月13日
なぜ悪しき者が生きながらえて年をとっても、なお力を増し加えるのか。その子孫は彼らとともにあって、彼らの前に堅く立ち、その末裔は彼らの目の前に堅く立つ。彼らの家は平和で恐れもなく、神のむちが彼らの上に下されることもない。
ヨブ記21章7~9節
ヨブ記21章は、ヨブの発言が記されています。ヨブは、ヨブ記20章でナアマ人ツォファルから「悪しき人間」と決めつけられましたが、それに対する発言、反論が冒頭の引用個所です。
ヨブは、自らが「悪しき人間」でも、「悪しき者」でもないことを、自分自身が「力を増し加えるどころか、衰えていること」や、ヨブには「神のむちが下されているのに」、悪しき者には「神のむちが下されないこと」などに触れ、自らが「悪しき人間」でないことを伝えています。
しかし、ヨブ記21章は全体的に混乱しています。ヨブ自身も、なぜこのような苦しみ、試練に合うのか、ヨブの友人たちもその意味が理解できず、ヨブとヨブの友人たちの主張もかみ合いません。それはこれまでも触れてきた通り、ヨブ記1~2章の出来事を知る由のないヨブにも、ヨブの友人たちにも、分からないのが当然です。
そしてヨブ記21章はこのような言葉で終わります。
それなのに、どうしてあなたがたは空しいことばで私を慰めようとするのか。あなたがたの応答は、不信実でしかない。
ヨブ記21章34節
ヨブは、「あなたがた(ヨブの友人たち)の応答は、不信実でしかない」と語っています。私たちも、自らの限界を知る必要があります。
主よ 私の心はおごらず
私の目は高ぶりません。
及びもつかない大きなことや奇しいことに
私は足を踏み入れません。 詩篇131篇1節
詩篇作者のように「おごらず」「高ぶらず」「足を踏み入れず」、この姿勢を私たちも大切にしつつ、今週も歩みましょう。 (吉持日輪生)
ヨブ記21章7~9節
ヨブ記21章は、ヨブの発言が記されています。ヨブは、ヨブ記20章でナアマ人ツォファルから「悪しき人間」と決めつけられましたが、それに対する発言、反論が冒頭の引用個所です。
ヨブは、自らが「悪しき人間」でも、「悪しき者」でもないことを、自分自身が「力を増し加えるどころか、衰えていること」や、ヨブには「神のむちが下されているのに」、悪しき者には「神のむちが下されないこと」などに触れ、自らが「悪しき人間」でないことを伝えています。
しかし、ヨブ記21章は全体的に混乱しています。ヨブ自身も、なぜこのような苦しみ、試練に合うのか、ヨブの友人たちもその意味が理解できず、ヨブとヨブの友人たちの主張もかみ合いません。それはこれまでも触れてきた通り、ヨブ記1~2章の出来事を知る由のないヨブにも、ヨブの友人たちにも、分からないのが当然です。
そしてヨブ記21章はこのような言葉で終わります。
それなのに、どうしてあなたがたは空しいことばで私を慰めようとするのか。あなたがたの応答は、不信実でしかない。
ヨブ記21章34節
ヨブは、「あなたがた(ヨブの友人たち)の応答は、不信実でしかない」と語っています。私たちも、自らの限界を知る必要があります。
主よ 私の心はおごらず
私の目は高ぶりません。
及びもつかない大きなことや奇しいことに
私は足を踏み入れません。 詩篇131篇1節
詩篇作者のように「おごらず」「高ぶらず」「足を踏み入れず」、この姿勢を私たちも大切にしつつ、今週も歩みましょう。 (吉持日輪生)
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