礼拝の原型 ― 2024年08月04日
水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな律法の書に耳を傾けた。
ネヘミヤ記8章3節
ここで「律法の書」と書かれているのは、私たちの手元にある「聖書」でいうと「旧約聖書」、しかもネヘミヤ記が書きまとめられる前の「旧約聖書」となると、「モーセ五書」を中心とした内容だったと思われます。その「律法の書」が読み上げられた後の民の反応が下記にあります。
総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
ネヘミヤ記8章9節
上記9節最後に「みな泣いていた」とありますが、私自身の経験だけで考えると、旧約聖書を読む、または聞く中で涙することはなかったので、どこが朗読されたんだろうと、とても気になります。ただ9節には「民に解き明かすレビ人たち」とありますので、「律法の書」が朗読されるだけでなく、解き明かす人たちがいて、その中で涙する人たちがいたのでしょう。まさに私たちが毎週献げている礼拝の原型を感じます。
さらに「礼拝の原型」「主の日の原型」を感じるところが、その後の内容にも記されています。
さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」
ネヘミヤ記8章10節
私たちの教会で言うならば、礼拝後の食事の交わりと重なります。そして礼拝後の食事は、「主を喜ぶ」営みであることを教えられます。私たちも、ネヘミヤ記の時代から続いている、みことばを理解し、涙し、共に「主を喜び」食事をするという「(主の日の)礼拝の原型」を大切にしていきましょう。 (吉持日輪生)
ネヘミヤ記8章3節
ここで「律法の書」と書かれているのは、私たちの手元にある「聖書」でいうと「旧約聖書」、しかもネヘミヤ記が書きまとめられる前の「旧約聖書」となると、「モーセ五書」を中心とした内容だったと思われます。その「律法の書」が読み上げられた後の民の反応が下記にあります。
総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
ネヘミヤ記8章9節
上記9節最後に「みな泣いていた」とありますが、私自身の経験だけで考えると、旧約聖書を読む、または聞く中で涙することはなかったので、どこが朗読されたんだろうと、とても気になります。ただ9節には「民に解き明かすレビ人たち」とありますので、「律法の書」が朗読されるだけでなく、解き明かす人たちがいて、その中で涙する人たちがいたのでしょう。まさに私たちが毎週献げている礼拝の原型を感じます。
さらに「礼拝の原型」「主の日の原型」を感じるところが、その後の内容にも記されています。
さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」
ネヘミヤ記8章10節
私たちの教会で言うならば、礼拝後の食事の交わりと重なります。そして礼拝後の食事は、「主を喜ぶ」営みであることを教えられます。私たちも、ネヘミヤ記の時代から続いている、みことばを理解し、涙し、共に「主を喜び」食事をするという「(主の日の)礼拝の原型」を大切にしていきましょう。 (吉持日輪生)
「罪の奴隷」から解放された者らしく ― 2024年08月13日
しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。
ネヘミヤ記9章16~17節
しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。
ネヘミヤ記9章26節
しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。
ネヘミヤ記9章28節
彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。
ネヘミヤ記9章35節
ネヘミヤ記9章は、上記に一部を引用した通りイスラエルの歴史の概略が記されています。特に引用した箇所は「傲慢にふるまい」「逆らい」「一息つくと」「仕えず」など、私たちも直面する課題ばかりです。このようにイスラエルの歴史を振り返った後、ネヘミヤ記9章36節には「ご覧ください。私たちは今、奴隷です」とあります。しかし私たちは、イエス・キリストの十字架ゆえに、この「罪の奴隷」から解放されています。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
ローマ人への手紙6章6節
イエス・キリストのゆえに「罪の奴隷」から解放された者として、この大きな恵みに今週もしっかり応えて歩みましょう。 (吉持日輪生)
ネヘミヤ記9章16~17節
しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。
ネヘミヤ記9章26節
しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。
ネヘミヤ記9章28節
彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。
ネヘミヤ記9章35節
ネヘミヤ記9章は、上記に一部を引用した通りイスラエルの歴史の概略が記されています。特に引用した箇所は「傲慢にふるまい」「逆らい」「一息つくと」「仕えず」など、私たちも直面する課題ばかりです。このようにイスラエルの歴史を振り返った後、ネヘミヤ記9章36節には「ご覧ください。私たちは今、奴隷です」とあります。しかし私たちは、イエス・キリストの十字架ゆえに、この「罪の奴隷」から解放されています。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
ローマ人への手紙6章6節
イエス・キリストのゆえに「罪の奴隷」から解放された者として、この大きな恵みに今週もしっかり応えて歩みましょう。 (吉持日輪生)
自分たちの神の宮をなおざりにしない ― 2024年08月18日
レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人は、その十分の一の十分の一を私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。
ネヘミヤ記10章38~39節
冒頭引用個所39節の最後に「このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない」と当時の人たちの思い、決意が力強く記されています。そしてネヘミヤ記9章最後の38節からネヘミヤ記10章には、「神の宮をなおざりにしない」取り組みが記されています。
その内容は、印を押して「盟約」を結び(ネヘミヤ記9章38節)、次に「誓い」(10章29節)に加わり、「献げる義務を自らに課す」(32節)とあります。さらに「ささげ物」についても記されていきます。「薪のささげ物」(34節)、「土地の初なり、木の初なりの果実」(35節)、「子どもと家畜の初子」(36節)、「初物の麦粉、木の果実、新しいぶどう酒と油、私たちの土地の十分の一」(37節)などのささげ物のことが記されています。
つまり「神の宮をなおざりにしない」取り組みは、具体的には、神さまと「契約を結び」「誓い」「献げものを携えてくること」となります。いま、私たちの教会は、建物の雨漏りに悩んでいます。「神の宮をなおざりにしない」とは、建物を整えることだけでなく、神さまの前に一人一人が、「神さまとの契約」「誓い」「献げ物」について点検し、整えることも含まれるのです。
礼拝堂の雨漏りが、すみやかに改善されるように祈りつつ、私たちの信仰についてもよくよく点検し、神さまの前にさらに整えられていきましょう。(吉持日輪生)
ネヘミヤ記10章38~39節
冒頭引用個所39節の最後に「このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない」と当時の人たちの思い、決意が力強く記されています。そしてネヘミヤ記9章最後の38節からネヘミヤ記10章には、「神の宮をなおざりにしない」取り組みが記されています。
その内容は、印を押して「盟約」を結び(ネヘミヤ記9章38節)、次に「誓い」(10章29節)に加わり、「献げる義務を自らに課す」(32節)とあります。さらに「ささげ物」についても記されていきます。「薪のささげ物」(34節)、「土地の初なり、木の初なりの果実」(35節)、「子どもと家畜の初子」(36節)、「初物の麦粉、木の果実、新しいぶどう酒と油、私たちの土地の十分の一」(37節)などのささげ物のことが記されています。
つまり「神の宮をなおざりにしない」取り組みは、具体的には、神さまと「契約を結び」「誓い」「献げものを携えてくること」となります。いま、私たちの教会は、建物の雨漏りに悩んでいます。「神の宮をなおざりにしない」とは、建物を整えることだけでなく、神さまの前に一人一人が、「神さまとの契約」「誓い」「献げ物」について点検し、整えることも含まれるのです。
礼拝堂の雨漏りが、すみやかに改善されるように祈りつつ、私たちの信仰についてもよくよく点検し、神さまの前にさらに整えられていきましょう。(吉持日輪生)
一押しの人「ペレツ」再登場! ― 2024年08月25日
エルサレムには、ユダ族とベニヤミン族のうちのある者が住んだ。ユダ族では、まずウジヤの子アタヤ。ウジヤはゼカリヤの子、ゼカリヤはアマルヤの子、アマルヤはシェファテヤの子、シェファテヤはマハラルエルの子、マハラルエルはペレツの子孫の一人である。次にバルクの子マアセヤ。バルクはコル・ホゼの子、コル・ホゼはハザヤの子、ハザヤはアダヤの子、アダヤはエホヤリブの子、エホヤリブはゼカリヤの子、ゼカリヤはシロ人の子孫である。エルサレムに住んだペレツの子孫は合計四百六十八人の勇士であった。 ネヘミヤ記11章4~6節
以前もここで何度か紹介しましたが、旧約聖書登場人物中、私の一押しの人は「ペレツ」です。創世記38章に「ペレツ」誕生の経緯が記されています。そしてそこに「ペレツ」の意味が紹介されています。
しかし、その子が手を引っ込めたとき、もう一人の兄弟が出て来た。それで彼女は「何という割り込みをするのですか」と言った。それで、その名はペレツと呼ばれた。 創世記38章29節
「割り込む」という意味の名前を与えられた「ペレツ」ですが、旧約聖書のルツ記にそのペレツが、祝福の言葉として使われています。
どうか、主がこの娘を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。」 ルツ記4章12節
そして今回の旧約聖書最後の登場となるネヘミヤ記11章でも「ペレツの子孫」がエルサレムに住んだこと、「468人の勇士」であったことが紹介されています。ここにも「ペレツの祝福」が現わされています。しかし、最大の祝福はイエスさまの系図に紹介されていることです。
ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
マタイの福音書1章3節
今週も、様々な予定の中に「割り込んでくる出来事」を「ペレツの祝福」と重ねて、祈りつつ受け止めて歩みましょう。 (吉持日輪生)
以前もここで何度か紹介しましたが、旧約聖書登場人物中、私の一押しの人は「ペレツ」です。創世記38章に「ペレツ」誕生の経緯が記されています。そしてそこに「ペレツ」の意味が紹介されています。
しかし、その子が手を引っ込めたとき、もう一人の兄弟が出て来た。それで彼女は「何という割り込みをするのですか」と言った。それで、その名はペレツと呼ばれた。 創世記38章29節
「割り込む」という意味の名前を与えられた「ペレツ」ですが、旧約聖書のルツ記にそのペレツが、祝福の言葉として使われています。
どうか、主がこの娘を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。」 ルツ記4章12節
そして今回の旧約聖書最後の登場となるネヘミヤ記11章でも「ペレツの子孫」がエルサレムに住んだこと、「468人の勇士」であったことが紹介されています。ここにも「ペレツの祝福」が現わされています。しかし、最大の祝福はイエスさまの系図に紹介されていることです。
ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
マタイの福音書1章3節
今週も、様々な予定の中に「割り込んでくる出来事」を「ペレツの祝福」と重ねて、祈りつつ受け止めて歩みましょう。 (吉持日輪生)
最近のコメント