神を認めることを教える2024年01月21日

神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。 
                    歴代誌第二 26章5節

 上記聖書箇所に「神を認めることを教えたゼカリヤ」と記されているところの「ゼカリヤ」ですが、誰でしょうか。旧約聖書の一つに「ゼカリヤ書」がありますが、その「ゼカリヤ」なのでしょうか。私の手元にある聖書辞典を開けると、なんと旧約聖書には31人もの「ゼカリヤ」が登場するようです。つまり旧約聖書には、様々な「ゼカリヤ」が登場しているということです。このように当時よく使われていた「ゼカリヤ」ですが、その名前の意味を調べると、「主は覚えてくださる」という意味のようです。子どもに「ゼカリヤ(主は覚えてくださる)」と名づけ、自分の子どものことを、またその時代のことを「主は覚えてくださる」と信じたのでしょう。
 さてウジヤ王の時代に「神を認めることを教えたゼカリヤ」ですが、聖書には何も詳細については記されていません。ですからこのゼカリヤが、ウジヤ王にどのようにして「神を認めること」を教えたのかなどを知ることができません。しかし、かすかに想像することができる手がかりが一つあります。それは「認める」と訳されているヘブル語です。この同じヘブル語は、実は創世記1章に7回使われています。その使われ方は、「(良しと)見られた」(4、10、12、18、21、25、31節)と訳されています。つまり「神を認めることを教えた」とは、「神を見ることを教えた」と言い換えることもできるのです。
 ここで注目し、確認しなければならないことは、ゼカリヤはウジヤ王に「神を信じるように教えた」のではなかったということです。ゼカリヤは、ウジヤ王に「神さまを見ることを教え」「神さまを認めることを教え」たのです。そしてウジヤ王は、「神を求めた」と聖書は記しています。
 これは、私たちの伝道にも参考になります。私たちクリスチャンにできることは、家族、友人、知人に、神さまを見ることできるように指し示し、神さまを認めることができるように証しし、神さまを求めることができるように導くことです。今週も、神さまを指し示し、証しし、神さまの元に共に導いていきましょう。
                               (吉持日輪生)