「全き心」とは2024年01月14日

彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。
                           歴代誌第二25章2節

 歴代誌第二25章では、ヨアシュ王の子アマツヤのことが紹介されています。今回は、登場人物であるアマツヤ王ではなく、冒頭引用箇所で使われている「全き心」ということばに注目したいと思います。

① 「ああ、主よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。
                  列王記第二20章3節

② わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの動機を読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。
                         歴代誌第一28章9節

③ 民は、長たちが自ら進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心をもって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。
                         歴代誌第一29章9節

 ①では「全き心」が「真実」と一緒に使われ、②では「喜び」と共に使われ、③では「自ら進んで」と共に使われています。「全き心」とは、「真実な心」であり、「喜びのある心」であり、「自主的な心」と重なるものなのでしょう。また「全き」と訳されているヘブル語の意味を調べると「完全な、安らかな、安全な」と紹介されています。つまり「全き心」とは、「完全な心」「安らかな心」「安全な心」とも言えます。

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。              
                         ヨハネの福音書14章27節

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。 
                         ヨハネの福音書16章33節

 イエスさまが与えてくださる「平安」の心、「全き心」をもって今週も歩みましょう。   (吉持日輪生)