若い者、しもべたちを用いられる神さま2022年08月28日

アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。         
                   列王記第二 5章2節

 神さまは、若者も豊かに用いられます。今日の聖書個所の2節に紹介されているのが「一人の若い娘」でした。彼女の境遇は、決して恵まれたものではありませんでした。冒頭引用の2節に記されている通り、彼女は「イスラエルの地から捕らえられて来た」人でした。争いの中、住み慣れた地から、そして優しい父母兄弟から切り離され、異国の地に連れてこられたのでした。
 しかし、この「一人の若い娘」は、健気にアラム軍の長ナアマンの妻に仕えていました。その仕え方は、いやいやながらでも、仕方なくでもなく、ナアマンの妻の思いをくみ取り、共に悩み、共に考える人だったからこそ、3節の言葉が出てくるのでしょう。

彼女は女主人に言った。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」 
                   列王記第二5章3節

 そしてナアマンの妻とこの「若い娘」との間には、しっかりとした信頼関係ができていたからでしょう、この「若い娘」の言葉は、妻からご主人ナアマンに、そしてナアマンからアラムの王にと伝えられていき、その後ナアマンは、預言者エリシャのもとにたどり着きます。しかし、預言者エリシャの対応が、ナアマンがイメージしていたものではなく、彼はそのことに激怒しますが、その際にも神さまが用いられたのは「しもべたち」でした。

そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
                      列王記第二5章13節

 その後ナアマンは、このしもべたちの励ましに促され、預言者エリシャの言う通りにして癒されます。このように神さまは、時に「若い娘」を豊かに用い、また「しもべたち」を豊かに用いてくださるお方です。私たちも、教会に連なる「若い人たち」の声に耳を傾け、ナアマンのようにその声に謙遜に対応していく教会となれるように祈りましょう。                 (吉持日輪生)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mikotoba.asablo.jp/blog/2022/08/28/9521531/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。