平和を語る者となる2024年11月17日

実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。         エステル記10章3節

 先週も触れましたが、エステル記は、「神」ということばも、神さまを表す「主」ということばも出てこない書物です。そして今回取り上げるエステル記10章の締めくくりも、神なき社会、神なき時代の中にあっても、大切なことが記されています。それは、モルデカイの姿を通して示されている「自分の全民族に平和を語る者」の存在です。
 イエスさまは、イエス・キリストを信じる者に次のように語られています。

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
                      マタイの福音書5章13~14節

 このイエスさまのおことばから、教会ではクリスチャンの存在が、「地の塩」「世の光」となるようにと祈り、取り組んでいます。この「地の塩」「世の光」の中には、まさにエステル記に記されている「平和を語る者」としての役割も含まれているように思います。
 イエスさまは、さらにこのようにも教えられました。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
                          マタイの福音書5章9節

 私たちが、今、生きている社会、時代が、たとえ神を認める社会や時代でなかったとしても、その社会、時代に生かされている「地の塩」「世の光」として、平和を語り続け、平和をつくり続ける者として歩ませていただきましょう。 (吉持日輪生)

エステル記から学ぶこと2024年11月10日

第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。 
                エステル記9章1節

 冒頭の「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」と読むと、少し戸惑いを覚えながらも、「神さまがそのようにされたのか」と受容できますが、その先を読み進めると、本当にこれでいいのかと思ってしまいます。

王は王妃エステルに言った。「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。   それをかなえてやろう。」
エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」
                エステル記9章12~13節

 「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」だけでなく、さらにもう一日「ユダヤ人の敵」を攻撃することを求め、そしてそれが実施されていきます。
 「神さまの愛」とか「神さまの赦し」など微塵も感じられない内容です。このようなエステル記から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。それはまさに人間の罪深さです。聖書の神さまを信じていても、また信じていなくても、私たちの中にはエステルと同様、「目には目」(出エジプト記21章24節前半)では終われない愚かさがあります。
 「神」ということばも、神さまを表す「主」ということばも出てこないエステル記は、まさに神を認めない社会の罪深さに満ちています。私たちはエステル記を読みつつ、同じ罪深さが私の中にもあることを自覚し、だからこそ神さまを認め、神さまにその罪を赦していただく経験を重ね、私たちがまずお互いに愛し合い、赦し合う関係になることを求めていくことです。
 今週も、お互いに愛し合い、赦し合う関係の中を歩みましょう。 
                  (吉持日輪生)

私たちの「光と喜び、歓喜と栄誉」2024年11月10日

ユダヤ人にとって、それは光と喜び、歓喜と栄誉であった。
                           エステル記8章16節

 冒頭に「光と喜び、歓喜と栄誉」とありますが、それは何ゆえの「光と喜び、歓喜と栄誉」なのでしょうか。

しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。                        エステル記3章6節

 このハマンの計画が、下記に引用した通り、帳消しにされただけでなく、ユダヤ人を根絶やしにしようとする存在を滅ぼすことが許されたゆえの「光と喜び、歓喜と栄誉」でした。

その中で王は、どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。
エステル記8章11節

 しかし、私たち新約の時代以降に生きる者にとっての「光と喜び、歓喜と栄誉」は、エステル記に記されているようなものではありません。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
                     コリント人への手紙第二5章17節

 「目には目、歯には歯を」(出エジプト記21章24章前半)の考えから私たちを解放してくださるイエスさまの十字架と復活による贖いの業こそ、私たちの「光と喜び、歓喜と栄誉」です。
 今週も、イエスさまの十字架と復活の恵みを噛みしめつつ、日々「新しく造られた者」として歩ませていただきましょう。            (吉持日輪生)

悪人ハマンの姿と私たち2024年10月27日

エステルは言った。「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。 
                エステル記7章6節

 冒頭引用箇所の「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです」は、勧善懲悪の主人公や、戦隊ヒーローのセリフのような、存在感のあることばです。
 悪人ハマンは、まさにそのことばを前にして、冒頭引用箇所では「震え上がった」とあり、さらに8節では「ハマンの顔は青ざめた」とあります。そしてこのエステル記7章の勧善懲悪的な展開は、次のように終わります。

そのとき、王の前にいた宦官の一人ハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのためにハマンが用意した、高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。
               エステル記7章9~10節

 悪人ハマンは、モルデカイを吊るして殺し、さらにさらすために用意した50キュビト(約22メートル)の柱にかけられて、ハマン自身がさらされてしまいます。
 しかし、この悪人ハマンの姿は、私たちの姿でもあります。私たちも神さまの前に立つならば、「震え上がり」「顔は青ざめる」しかないほどの罪人です。そのような私たちが、神さまの前で平安に歩めるのは、神さまの右の座に着き、私たちのことをとりなしてくださるイエスさまがおられるからです。

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
               ローマ人への手紙8章34節

 今週も、イエスさまのとりなしの恵みにあずかり、その恵みを覚え、イエスさまに感謝しつつ歩みましょう。                 (吉持日輪生)

神さまの壮大な計画2024年10月20日

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。    
                  エステル記6章1節

 エステル記6章は、「すべてのことがともに働いて益とする」(ローマ人への手紙8章28節)神さまを深く思わされる内容となっています。例えば冒頭引用個所に記されている王さまが眠れなかったことも、神さまは用いておられます。

その(記録の書、年代記の)中に、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。               
                  エステル記6章2節

 この出来事は、以下の通りです。

そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。                 
                  エステル記2章21~23節

 この通り、「年代記に記録され」ますが、このことでモルデカイには何の「栄誉も、昇進も」ありませんでした。ある意味忘れられていました。しかし、それも「このような時のためかもしれない」(エステル記4章14節後半)とあるように、ハマンが、モルデカイを殺害しようとする時のために、「栄誉も、昇進も」忘れられていたのでしょう。
 私たちの視点からすると、「眠れないこと」も、「忘れてしまうこと」も、決して「良いこと」ではありませんが、神さまは、そのようなことも「益」に変えてくださるのです。今週、「眠れないこと」があっても、また「忘れてしまうこと」があっても、私たちは、神さまがこのことをどのように「益」にしてくださるのだろうかと、神さまに期待しつつ歩むことができます。そのような神さまが「私の神」として関わってくださることを感謝しつつ、今週も歩みましょう。   (吉持日輪生)

ハマンの高ぶり2024年10月13日

ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動きもしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。しかし、ハマンは我慢して家に帰り、(中略)しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。 
               エステル記5章9~14節(抜粋)

 エステル記3章に記されていた「ハマンの怒り・憤り」への対処に比べると、エステル記5章の「ハマンの怒り・憤り」への対処の仕方が、少し成長しているように感じます。そのことを感じるのは、10節で「しかし、ハマンは我慢して家に帰り」とあるところです。ハマンが我慢できた理由をいくつか考えることができます。一つは、彼の内的成長です。もう一つは、すでにユダヤ民族を根絶やしにする計画が進んでいたためです。最後は、私はこれが一番大きいように感じていますが、ハマンが祝福されていたことです。
 ハマンは、このように語っています。

ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。ハマンは言った。「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。…」                    
               エステル記5章11~12節

 しかし、ハマンの大きな過ちは、その祝福が神さまからのものであることを悟れなかったことです。ハマンとその周りの人たちの高ぶりは、モルデカイをかけるために立てた柱の高さに表れているように感じます。50キュビトとありますが、1キュビトは0.44メートルですので、50キュビトの高さは、22メートルになります。現在の建築でいうと6~7階建ての建物に相当します。実際にそのような高い柱を立てることができたのかどうかはわかりませんが、この高さこそハマンとその周りの人たちの高ぶりを感じます。
 今週も、神さまを主語にして、一つ一つの出来事を受けとめ、神さまの前に謙遜になって歩みましょう。 
               (吉持日輪生)

死と救い2024年10月06日

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」 
                   エステル記4章13~14節

 エステル記の中でとても印象に残る個所が、上記のことばです。特に14節後半「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」は、私たち信仰者が、困難な中に置かれる時に思い出し、励まされ、勇気をいただける個所です。
 イエスさまも、同じようなことばを語られています。

「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。
                   ヨハネの福音書12章27節

 エステル記では「ユダヤ人の死」を前にして「このような時のためかも」とあり、イエスさまも「十字架での死」を前にして「このためにこそ、わたしはこの時に至った」と語っています。
 聖書は、「死ぬこと」を明確に語ると共に、「その死からの救い」も明確に語っています。けれども私たち日本人は「死」を語ることを控える文化の中にあり、そのため「死からの救い」を伝える機会も少なくなっているのかもしれません。またそのような文化が、「死からの救い」を語る「福音」を届きにくくしているのかもしれません。
 私たち日本人クリスチャン、日本にいるクリスチャンは、このような文化の日本に命を授かり、「福音を届ける」困難さを経験していますが、だからこそエステル記が語るように「あなたがこの王国に来たのは(この日本にいるのは)、もしかすると、このような時のためかもしれない」と、この日本に住む一人一人に福音を届けることを、祈りつつ、工夫し、これからもチャレンジしていきましょう。(吉持日輪生)

クセルクセス王とハマンの違い2024年09月29日

ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。             エステル記3章5~6節

 2週間前、エステル記1章を取り上げた時、クセルクセス王の「怒りのコントロール」について触れました。クセルクセス王は「激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った」(エステル記1章12節後半)にもかかわらず、その怒りに身を任せて感情的な行動をとる前に、「時を熟知している、知恵のある者たち」(エステル記1章13節)に相談して行動しました。
 一方、エステル記3章では、王に重んじられていた「ハマンの怒り」が記されています。ハマンは、自分に「膝もかがめず、ひれ伏そうともしない」モルデカイに対して「怒り」、その「怒り」は、モルデカイ一人を手にかけるだけでは満足せず、モルデカイの民族を根絶やしにしようとする行動へと広がっていきます。まさにハマンは、誰にも相談せず、感情に身を任せた行動をとっています。ここにクセルクセス王とハマンの「怒り」への対処の違いが明らかにされます。
 私たちも日々の生活の中で、「怒り」から解放された日々を歩みたいと思いつつも、やはり様々な状況の中で「怒り」を抱いてしまいます。だからこそ「怒り」を覚えた時の対処の仕方を身につけておくことが大切です。2週間前にも触れましたが、「怒り」を覚えたら、まず神さまに祈ること、イエスさまに聞いてもらうことです。その次に信頼できるクリスチャンに話して共に祈ってもらうことです。
 今週、「怒り」を覚えたらぜひ実践してみましょう。
                             (吉持日輪生)

時を支配される神さま2024年09月22日

エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。 
               エステル記2章16節

 先週取り扱ったエステル記1章で起こった王妃ワシュティの王の命令を拒む出来事は、クセルクセス王の治世第三年のことでした。

クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。             エステル記1章2~5節

 冒頭の引用個所と比べるとエステル記1章の出来事は、エステルが王妃として召し入れられる4年前のことになります。聖書は、エステルの年齢を記していません。しかし「未婚の娘たち」(2章2節)にとって4年という月日は、心身が大きく変化する時期です。ですから、もし王が王妃ワシュティの代わりの王妃を、エステル記1章の出来事からすぐ後に選んでいたら、エステルは王妃に選ばれなかったかもしれません。ここにも「時を支配される神さま」の臨在を覚えます。
 そしてエステル記2章は、エステルが王妃となったことだけを記すのではなく、その最後にモルデカイの功績を記しています。その内容は、このような出来事が起こりましたと、淡々と記しているように読めますが、エステル記を読み進めていくと、この出来事がやはり「時を支配される神さま」の御業の中で、大事な出来事につながっていくこともわかります。
 私たちも「時を支配される神さま」の御手の中で日々歩んでいます。私たちからすると突然のことと思える出来事も、全て神さまのご計画の一コマです。私たち人間がそのことに気付くのには時間がかかりますが、そのことがわかると「時を支配される神さま」の御名を、心からほめたたえることにつながります。
 今週も「時を支配される神さま」に信頼し、期待し歩みましょう。
                        (吉持日輪生)

怒りのコントロール2024年09月15日

しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった。そのため王は激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った。そこで王は時を熟知している、知恵のある者たちに言った──このように、法令と裁判に詳しいすべての者に諮るのが、王の慣わしであった。    エステル記1章12~13節

 今回から「エステル記」です。この場面は、ペルシアのクセルクセス王が、王妃ワシュティの容姿のすばらしさ、美しさを民と首長たちに見せるため、王冠をかぶり、王の前に出るように伝えるのですが、王妃ワシュティは、その命令を拒みます。そのような行動をとった王妃ワシュティに対するクセルクセス王の感情、「激しく怒り、憤りが燃え立つ」状況がここに記されています。
 クセルクセス王は、当時インドからクシュ(エチオピア)に至る地域の127州を治めていました。そのような権力のあるクセルクセス王でしたが、「激しい怒り」「憤り」に身を任せて感情的に行動するようなことはしませんでした。クセルクセス王は、「時を熟知している、知恵のある者たち」に相談します。
 「怒り」をコントロールするために大切なことは、相談です。心の中にある「怒り」を言語化することで、「怒り」を客観的にとらえられるようになります。クセルクセス王は、127州の王として、誰にも相談せず、怒りに任せて、感情的に行動することもできましたが、彼はさすが王として「時を熟知している、知恵のある者たち」に相談しています。
 さて私たちにとって最高最善の相談相手は誰でしょうか。それは牧師でもなく、副牧師でもありません。イエスさまです。

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。                    イザヤ書9章6節

 「不思議な助言者」と呼ばれるイエスさまこそが、私たちにとって最高最善の相談相手です。「怒り」を覚えた時、「辛い時」「寂しい時」、イエスさまに相談しつつ、今週も前にと進みましょう。                  (吉持日輪生)