ハマンの高ぶり ― 2024年10月13日
ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動きもしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。しかし、ハマンは我慢して家に帰り、(中略)しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。
エステル記5章9~14節(抜粋)
エステル記3章に記されていた「ハマンの怒り・憤り」への対処に比べると、エステル記5章の「ハマンの怒り・憤り」への対処の仕方が、少し成長しているように感じます。そのことを感じるのは、10節で「しかし、ハマンは我慢して家に帰り」とあるところです。ハマンが我慢できた理由をいくつか考えることができます。一つは、彼の内的成長です。もう一つは、すでにユダヤ民族を根絶やしにする計画が進んでいたためです。最後は、私はこれが一番大きいように感じていますが、ハマンが祝福されていたことです。
ハマンは、このように語っています。
ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。ハマンは言った。「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。…」
エステル記5章11~12節
しかし、ハマンの大きな過ちは、その祝福が神さまからのものであることを悟れなかったことです。ハマンとその周りの人たちの高ぶりは、モルデカイをかけるために立てた柱の高さに表れているように感じます。50キュビトとありますが、1キュビトは0.44メートルですので、50キュビトの高さは、22メートルになります。現在の建築でいうと6~7階建ての建物に相当します。実際にそのような高い柱を立てることができたのかどうかはわかりませんが、この高さこそハマンとその周りの人たちの高ぶりを感じます。
今週も、神さまを主語にして、一つ一つの出来事を受けとめ、神さまの前に謙遜になって歩みましょう。
(吉持日輪生)
エステル記5章9~14節(抜粋)
エステル記3章に記されていた「ハマンの怒り・憤り」への対処に比べると、エステル記5章の「ハマンの怒り・憤り」への対処の仕方が、少し成長しているように感じます。そのことを感じるのは、10節で「しかし、ハマンは我慢して家に帰り」とあるところです。ハマンが我慢できた理由をいくつか考えることができます。一つは、彼の内的成長です。もう一つは、すでにユダヤ民族を根絶やしにする計画が進んでいたためです。最後は、私はこれが一番大きいように感じていますが、ハマンが祝福されていたことです。
ハマンは、このように語っています。
ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。ハマンは言った。「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。…」
エステル記5章11~12節
しかし、ハマンの大きな過ちは、その祝福が神さまからのものであることを悟れなかったことです。ハマンとその周りの人たちの高ぶりは、モルデカイをかけるために立てた柱の高さに表れているように感じます。50キュビトとありますが、1キュビトは0.44メートルですので、50キュビトの高さは、22メートルになります。現在の建築でいうと6~7階建ての建物に相当します。実際にそのような高い柱を立てることができたのかどうかはわかりませんが、この高さこそハマンとその周りの人たちの高ぶりを感じます。
今週も、神さまを主語にして、一つ一つの出来事を受けとめ、神さまの前に謙遜になって歩みましょう。
(吉持日輪生)
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