祭司エホヤダの得手、不得手2022年10月16日

ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。                         列王記第二 12章2節

 上記聖書箇所にある通りヨアシュ王さまは「いつも主の目にかなうことを行なった」とあります。そのヨアシュ王さまが、「主の目にかなうことを行なえた」理由の一つは、祭司エホヤダの存在でした。しかし、そのような祭司エホヤダにも問題、課題がありました。それが次に記されていることです。

しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」
                         列王記第二 12章6~7節

 祭司エホヤダが抱えていた問題、課題、それは上記聖書箇所にある通り、23年経っても「神殿の破損を修理しない」という状況でした。この問題、課題の根っこは何でしょうか。

祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。
                     列王記第二 12章5節

 祭司エホヤダには、ちゃんと「破損の修繕」に充てるための「担当する者から受け取るお金」が、与えられていました。しかし、祭司エホヤダは、それを正しく「(神殿の)破損の修繕」に充てず、別のことに使っていたからこそ、23年経っても「神殿の補修」ができなかったのでしょう。
 つまり、祭司エホヤダは、お金を正しく使うことが苦手だったのでしょう。そして祭司エホヤダだけでなく、私たち一人ひとりにも得手、不得手があります。だからこそ聖書はこのように教えています。

兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。                 ローマ人への手紙 12章10節

 今週も互いに愛し合い、相手をすぐれた者として尊敬し合い歩みましょう。(吉持日輪生)

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