サウル王と私たちとの違い2021年08月15日

サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。…」                サムエル記第一 28章16節

 「主はあなたから去り、あなたの敵になられた」とは、とても寂しく、悲しいことばです。これまでサウル王に語られてきた「神さまのことば」は、ここまで寂しく、悲しいものではありませんでした。例えば、

さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。                     サムエル記第一 16章14節

 「主の霊」が離れ去り、「わざわいの霊」がもたらされる。このような感じでした。しかし、今回は、「あなたの敵になられた」です。そのため、サウルが神さまに伺いをたてても答えてもらえませんでした。

サウルは主に伺ったが、主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。             サムエル記第一 28章6節

 このようなサウル王の状況を読むと、私たちも不安になります。なぜなら私たちも、神さまに祈っても、祈っても、答えてもらえないことなどよくあるからです。

 しかし、私たちにはイエスさまの十字架という贖いがあり、またそのことが記されている「聖書」という「神さまのことば」があります。ですからサウル王と同じように「夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても」答えてもらえなくても、私たちは「聖書のことば」から答えを読み取り、「天のお父さま…」と直接神さまに祈ることで、答えをいただくことができます。
 罪人である私たちは、本来はサウル王と同じ状況ですが、イエスさまの贖いの十字架のゆえに、イエスさまの恵みに満ちたおことばの中にあります。

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
                         マタイの福音書 28章20節b

 この恵みに満ちた福音を、今週も携え、届けつつ歩みましょう。 (吉持日輪生)

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