サウル王とヨナタンの死2021年09月05日

ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。        サムエル記第一 31章2節

サウルは道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶりものにするだろう。」しかし、道具持ちは非常に恐れて、とうていその気になれなかった。それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ。道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルとともに死んだ。
サムエル記第一 31章4~5節

 サムエル記第一は、今回取り上げる31章で終わります。そこに記されている内容は、サウル王とサウル王の息子でダビデの親友ヨナタンの死です。イスラエル最初の王として華々しく登場したサウル王でしたが、神さまの言葉に従いきることができず、神さまの前に失態を重ねます。またダビデが奏でる琴の音色に助けられ、慰められながらも、ダビデの活躍への嫉妬から執拗な彼への攻撃もありました。しかし31章に記されているサウル王の最期はなんとも寂しいものです。
 しかし、31章最後に記されているイスラエルの勇士たちによる勇敢な行動には慰められます。勇士たちは、ベテ・シャロンの城壁にさらされていたサウル王と息子たちの死体をヤベシュに運び、火葬し、その骨をタマリスクの木の下に葬りました。そのタマリスクという木は、春と秋に鈴なり状に1ミリほどの小さなピンクとか赤色の花を咲かせます。タマリスクが、花を咲かせている写真を見ると、悲しみや、寂しさを覚え、そこに大切な王様の骨を埋めた当時の人たちの思いが伝わってきます。
 サムエル記第一最後の31章は、悲しみや、切なさ、寂しさで終わりますが、これはサムエル記第二に記されていくダビデ王の時代の歩みへとつながっていきます。神さまはイスラエルという民を選び、様々な経験をさせながらも、見離すことなく、見捨てることなく関わり続け、導き続けてくださいます。そして同様に、私たちをクリスチャンとして選んでくださった神さまは、私たちに様々な経験をさせながらも、見離すことなく、見捨てることなく関わり続け、導き続けてくださいます。
 今まさに、私たちは、コロナ禍による様々な不安の中を歩んでいますが、だからこそ神さまに信頼して歩み続けましょう。     (吉持日輪生)

ダビデのように歩もう!2021年09月12日

サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。生きているときも死ぬときも、二人は離れることはなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。
                         サムエル記第二1章23節

あなたのために私はいたく悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。
                         サムエル記第二1章26節

 さて今回からサムエル記第二です。そしてサムエル記第二1章は、とても興味深い内容となっています。サムエル記第一31章でサウル王の死ぬ場面が丁寧に記述されているからこそ、余計にサムエル記第二1章に登場するアマレク人の嘘の言動が際立っています。アマレク人は、サウル王を死に至らせたことを「手柄」としてダビデに報告しているように読めますが、ダビデは、これまでと同様「主に油注がれた方」としてサウル王に敬意をもって対応しています。
 それだけではありません。19節以降に記されている「哀歌」では、上記引用個所にある通り、サウル王に対する評価を尊敬をもって歌っています。ダビデも、サウル王から受けた様々なことを思い返せば、当然たくさんの恨みつらみが湧き起こってきたことでしょう。しかし、ダビデはその道を選ばず、「主に油注がれた方」として、サウルの良いところ、素晴らしいところを取り上げたのでしょう。
 私たちも、私の周りにおられるお一人お一人が、神さまによって備えられた存在であることを覚えつつ、その方の悪いところを思い返し、数えるのではなく、その方の良いところを思い出し、数えるようにしましょう。

わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。                          詩篇103篇2節
                              (吉持日輪生)

ヘブロン!2021年09月19日

この後、ダビデは主に伺った。「ユダの町のどれか一つへ上って行くべきでしょうか。」主は彼に「上って行け」と言われた。ダビデは、「どこに上ればよいでしょうか」と聞いた。主は「ヘブロンに」と言われた。
     サムエル記第二2章1節

 ダビデは、サウル王が亡くなった後も、主(神さま)に伺いを立てています。神さまから、ヘブロンに上れと示されたダビデは、ヘブロンに上り、ヘブロンに住み、そしてヘブロンで油を注がれユダの王となっています。今回は、そのヘブロンという町に注目したいと思います。
 旧約聖書にヘブロンという町が最初に紹介されるのは、次の個所です。

そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。      創世記13章18節

 さらにアブラハムの妻サラが亡くなり、葬られたのもヘブロンでした(創世記23章)。
 その後も度々ヘブロンの町の名は登場しますが、特に印象深いのはヨシュア記14章です。ここでは85歳になっていたエフンネの子カレブが、アナク人が住んでいた町ヘブロンを攻め取り、カレブの相続地となったことが記されています。
 そして、現在もGoogleマップで検索すると、エルサレムの南にヘブロンの文字を見ることができます。「祭壇を築き」「アブラハムの妻サラが葬られ」「ダビデが王となった」ヘブロン。そのヘブル語の意味は「同盟」です。神さまと「同盟」を組むところに、神さまの守りと祝福が注がれていくことを、ヘブロンの町の歴史を知る時に深く思わされました。今週も、神さまと「同盟」を組んで歩みましょう。
                    (吉持日輪生)

権威の移り変わり2021年09月26日

①サウルの家とダビデの家が戦っている間に、アブネルがサウルの家で勢力を増していた。              サムエル記第二3章6節
②アブネルはヘブロンに戻った。ヨアブは彼とひそかに話そうと、彼を門の内側に連れ込み、そこで彼の下腹を刺した。こうして、アブネルは、彼がヨアブの弟アサエルの血を流したことのゆえに死んだ。後になって、ダビデはそのことを聞いて言った。「ネルの子アブネルの血については、私も私の王国も、主の前にとこしえまで潔白である。             サムエル記第二3章27~28

上記①に登場する「アブネル」は、サウル王のおじさんネルの子、つまりサウルのいとこであり、サウル王の側近中の側近。一方②に登場する「ヨアブ」は、ダビデの甥で、やはりダビデの側近中の側近。今回の章に記されているこの二人、アブネルとヨアブに目を留めたいと思います。
 上記①に記されている通り、サウル王が亡くなった後、サウル王の側近であったアブネルが台頭し、勢力を増していきます。その後サウル王の息子イシュ・ボシェテからの指摘をきっかけに、アブネルはダビデに近づき、ダビデの元で権力維持を考えたのでしょう。しかし、ダビデの側近ヨアブは個人的な恨みを晴らす目的で、ダビデに相談なく、アブネルを殺害してしまいます。
 目まぐるしい権力の移り変わり、そして権力を我がものとするための様々な行動。ちょうど自民党総裁選挙の時だからでしょうか、昔も今も変わらない人の姿を見る気がします。
 聖書は、権力に翻弄されやすい私たちにこのように語っています。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。
                      ローマ人への手紙13章1~2節

 私たちは、一般市民に与えられている選挙権を誠実に忠実に担いつつ、かつキリスト者としては、立てられた権威に従いつつも、権威を授けてくださっている神さまに、権威を授けられた一人ひとりが、その働きを誠実に忠実に担うことができるように祈る責任があります。新しい日本のリーダーのために祈りましょう。      (吉持日輪生)