寛容なダビデの姿に倣おう2021年08月29日

兵たちは野で一人のエジプト人を見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らは彼にパンをやって、食べさせ、水も飲ませた。さらに、ひとかたまりの干しいちじくと、二房の干しぶどうをやると、そのエジプト人はそれを食べて元気を回復した。彼は三日三晩、パンも食べず、水も飲んでいなかったのである。
                    サムエル記第一 30章11~12節

 ダビデ一行が、ペリシテ人の戦いに同行している間に、アマレク人たちが、ダビデたちが住んでいたツィクラグを、攻撃し、火で焼き払い、ツィクラグに残っていたダビデとその兵士たちの妻も息子も娘も連れ去られてしまいます。そのような困難な中、ダビデは主に伺い、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる」と答えをいただき、アマレク人を追います。その中で、出会ったのが、冒頭に引用した弱り果て倒れていたエジプト人でした。そして、そのエジプト人をダビデは、とても暖かく取り扱います。ダビデの扱いが暖かいものであったことは、次の個所からも良くわかります。

ダビデは彼に言った。「おまえはだれのものか。どこから来たのか。」すると答えた。「私はエジプトの若者で、アマレク人の奴隷です。私が三日前に病気になったので、主人は私を置き去りにしたのです。       
                    サムエル記第一 30章13節

 アマレク人は、この奴隷(エジプト人)を病気だからと置き去りにし、ダビデは、
アマレク人たちを追いかけることより、この弱っているエジプト人を介抱することを優先したのです。その結果、そのエジプト人の病気は癒され、元気を取り戻します。そしてこのエジプト人の存在が、アマレク人から「自分たちの妻、息子、娘」を取り戻すことにつながります。
 このようなダビデの暖かい姿勢は、30章の後半にも記されています。

戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。          サムエル記第一 30章24節b

 私たちもこのようなダビデの姿に倣い、今週、神さまが出会わせてくださるお一人お一人と隣人愛をもってしっかりと向き合い、手を差し伸べていきましょう。             (吉持日輪生)