隣人愛で考えよう2021年01月31日

ボアズは、その買い戻しの権利のある親類に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。私はそれをあなたの耳に入れ、ここに座っている人たちと私の民の長老たちの前で、それを買ってくださいと言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。けれども、もし、それを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたを差し置いてそれを買い戻す人はいません。私はあなたの次です。」彼は言った。「私が買い戻しましょう。」  ルツ記4章3~4節

 上記個所にある通り「買い戻しの権利のある親類」は、ナオミの夫エリメレクの土地を買い戻すと語っていますが、5節で「死んだ人の名を相続地に存続させるために、死んだ人の妻であったモアブの女ルツも引き受けなければなりません」と聞くと、「買い戻します」との言葉を翻して、6節で「私は買い戻すことができません」と語っています。何が、この「買い戻しの権利のある親類」の思いを翻させたのでしょうか。その理由について6節には次のように記されています。

私には、その土地を自分のために買い戻すことはできません。自分自身の相続地を損なうことになるといけませんから。  ルツ記4章6節前半

 異邦人であり、敵対関係ある「モアブの女」を引き受けるのが嫌だったのかもしれませんが、はっきりと語っている理由は「自分自身の相続地を損なうことになるといけませんから」という理由でした。つまりモアブの女ルツを引き受け、ルツとの間に子どもを授かり、その子どもに「エリメレク」の名前を残させ、その土地を継がせることが嫌だったのです。「買い戻しの権利のある親類」は、自分の土地が増えることは良いけれども、それを近い将来失う可能性があることを嫌がったのです。そこには、隣人愛ではなく、損得勘定しかなかったということです。

そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。  マルコの福音書12章33節

 今週も、イエスさまが語られているように、私利私欲ではなく、隣人愛をもって歩みましょう。                    (吉持日輪生)

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