20160124 祈りには支えが必要 ― 2016年01月24日
しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。 出エジプト記17章12節
モーセは祈るために手を上げ、そして「モーセの手が重く」なっていました。11節に次のように書かれています。「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」(出エジプト記17章11節)。祈りの手が上がっている間は、イスラエルが優勢となり、祈りの手が降ろされているとアマレクが優勢になったのです。祈りの大切さを教えられます。しかしモーセは、自分だけの力で手を上げ続けることは困難でした。そこで神さまは、アロンとフルを用意され、モーセの手を支えさせたのです。その場面が冒頭の聖書箇所です。
さて私たちも祈り続けるためには、やはり支えが必要です。私たちの教会では、日曜日と月曜日の朝以外、毎朝6時から1階ロビーで「早天祈り会」が開催されています。集まるのは牧会スタッフ(牧師、伝道師、協力宣教師、教会スタッフ)と信徒の方々ですが、信徒の方々の参加は、あるひとりの方が主に出席して下さっているというのが現状です。けれどもその方の存在には、モーセの手を支えたアロンとフルの役割があります。その方が来て下さることが私たち牧会スタッフにとって大きな励ましであり、その励ましに支えられ、祈りを献げ続ける恵みの中を歩ませていただけています。
これからも牧会スタッフの祈りの手がしっかり支えられ、毎朝教会で祈りが献げられ続けるように、また祈りの中でこの地の宣教がますます力強く前進するように、そのためにもアロンとフルの役割を担う方々が増やされるようにと願います。ぜひ教会近隣にお住まいの方は、毎朝祈り会に出席することは困難でも、時々参加してくださり、私たちの祈りの手を支えて下さい。そして韓国のように、いつの日か日本でも、朝早くから教会に大勢の方々が集い、祈りが献げられ、宣教が前進していく風景が見られるように共に祈り求めていきましょう。(吉持日輪生牧師)
モーセは祈るために手を上げ、そして「モーセの手が重く」なっていました。11節に次のように書かれています。「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」(出エジプト記17章11節)。祈りの手が上がっている間は、イスラエルが優勢となり、祈りの手が降ろされているとアマレクが優勢になったのです。祈りの大切さを教えられます。しかしモーセは、自分だけの力で手を上げ続けることは困難でした。そこで神さまは、アロンとフルを用意され、モーセの手を支えさせたのです。その場面が冒頭の聖書箇所です。
さて私たちも祈り続けるためには、やはり支えが必要です。私たちの教会では、日曜日と月曜日の朝以外、毎朝6時から1階ロビーで「早天祈り会」が開催されています。集まるのは牧会スタッフ(牧師、伝道師、協力宣教師、教会スタッフ)と信徒の方々ですが、信徒の方々の参加は、あるひとりの方が主に出席して下さっているというのが現状です。けれどもその方の存在には、モーセの手を支えたアロンとフルの役割があります。その方が来て下さることが私たち牧会スタッフにとって大きな励ましであり、その励ましに支えられ、祈りを献げ続ける恵みの中を歩ませていただけています。
これからも牧会スタッフの祈りの手がしっかり支えられ、毎朝教会で祈りが献げられ続けるように、また祈りの中でこの地の宣教がますます力強く前進するように、そのためにもアロンとフルの役割を担う方々が増やされるようにと願います。ぜひ教会近隣にお住まいの方は、毎朝祈り会に出席することは困難でも、時々参加してくださり、私たちの祈りの手を支えて下さい。そして韓国のように、いつの日か日本でも、朝早くから教会に大勢の方々が集い、祈りが献げられ、宣教が前進していく風景が見られるように共に祈り求めていきましょう。(吉持日輪生牧師)
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