20160131 モーセがイテロに語るように2016年01月31日

さて、モーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、すなわち、どのようにして主がイスラエルをエジプトから連れ出されたかを聞いた。     出エジプト記18章1節

上記聖書箇所に「祭司イテロ」とありますが、この「祭司」は、聖書が記している天地万物をお造りになった神さまに仕えるための祭司ではありません。恐らく当時のミデヤンの地にあった土着宗教の祭司と考えることが妥当でしょう。
創世記25章1~2節を読むと「ミデヤン」は、アブラハムとケトラという女性の間に生まれていて、アブラハムの子孫ですので、アブラハムの信仰、影響があったと考えることもできます。
しかしどちらにしろ、異教の神さまに仕えていた祭司イテロと聖書の神様に仕えるモーセとが共存共生していたことはとても興味深いところです。しかも祭司イテロは、5節にある通り「モーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻といっしょに、荒野のモーセのところに行き」、モーセから直接、出エジプトの大いなる出来事の話を聞こうとしています。そしてモーセも8節にある通り「モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、パロとエジプトとになさったすべてのこと、途中で彼らに降りかかったすべての困難、また主が彼らを救い出された次第を語り」ました。
そしてそのモーセの話しを聞いた後、イテロは喜んだと書かれています(9節)。
この他宗教の祭司であるイテロとモーセとの関係には、とても励まされます。私たちも、ここに記されているモーセのように、ごく自然に神さまのなされた大いなる出来事をお話ししているでしょうか。この出エジプト記18章のイテロとモーセの関係には、何か相手を自分と同じ信仰へ導かなければという力みや、こだわりは感じられません。私たちも、罪の奴隷から解放された救いの証しを、ごく自然に、淡々と「モーセがイテロに語ったように」語る者として、今週も歩ませていただきましょう。      (吉持日輪生牧師)

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