私たちがすべきこと、担わされていること2024年01月28日

彼(ヨタム王)は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。ただし、主の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた。                      歴代誌第二 27章2節

 上記聖書箇所最後の「民は依然として滅びに向かっていた」が、とても心を騒がせます。しかしこのような状況の中で、ヨタム王がしたことは、次のようなものでした。

彼(ヨタム王)は主の宮の上の門を建てた。また、オフェルの城壁の上に多くのものを建てた。彼はユダの山地に町々を建て、森林地帯には城塞とやぐらを築いた。                      歴代誌第二 27章3~4節

 「民が依然として滅びに向かっている」にもかかわらず、ヨタム王は「主の宮の上の門を建て」「オフェルの城壁の上に多くのものを建て」「ユダの山地に町々を建て」「森林地帯には城塞とやぐらを築いた」とあります。「依然として滅びに向かっている」状況とのギャップを感じます。
 ヨタム王は、このような状況の中にあって、王としてもっと霊的なこと、信仰的なことに取り組むべきだったのではないでしょうか。しかしヨタム王、父ウジヤ王が神殿でツァラアトになったこと(歴代誌第二26章16~19節)が影響しているのか、冒頭引用箇所にある通り「主の神殿に入ることはしなかった」とあります。神さまに信頼し、神さまに聞くことはせず、「建物」「城塞」「やぐら」を建てることで、民を守ろうとしたのでしょうが、このヨタム王の行動は、まさに的外れでした。
 しかし、このような状況は過去だけのことではありません。私たちが置かれている状況も同じです。イエス・キリストの救いを受け入れなければ、「依然として滅びに向かっている」私たちであるにもかかわらず、私たちのまわりの政治家が考えることは、経済を豊かにすること、軍事力を上げることばかりです。
 だからこそ神さまは、私たちキリスト者を「イエス・キリストが身をもって成し遂げてくださった救い」を届けるために、「地の塩」「世の光」としてこの世に存在させておられるのです。
 今週も、私たちが「依然として滅びに向かっている」ことを自覚し、聖書が語る「福音」を一人ひとりのところに、伝わるように、わかるようにお届けしていきましょう。                       (吉持日輪生)