信仰決心とは何か2019年11月17日

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。      
                             使徒の働き 2章37節
                     
 「聖書とは」などの入門者向けのテキストを用いる学びを進めていくと、「信仰決心」(または救いの決心)という課が存在します。この世界をつくった神さまとその深い愛を知り、自分の心の中にある罪の問題に気付き、神の子イエス・キリストの十字架の救いの御業について学んでいく時に、人は信仰決心に導かれていきます。信仰決心は「回心」(かいしん)とも言いますが、今まで自分中心に生きてきた私たちが、罪の赦しを体験して、神さま中心に生きる人生へと変えられる、とても大切な経験です。信仰決心の在り方は人それぞれで、その人の歩んできた人生が様々であるように、一人一人の信仰告白、そして決心もユニークです。回心は、ペテロの説教に応答してその日のうちに洗礼を受けた3,000人や、ダマスコに向かう途中でイエスさまに出会ったパウロのように、人生が180度変えられるような感動的な経験であるというイメージを持たれがちですが、テモテのようにクリスチャンホーム育ちの背景を通して、祖母と母の信仰を純粋に受け継いできたケースもあります。大切なことは信仰決心の在り方やプロセス、方法を一つのパターン(もしくは自分の体験)に当てはめて、相手に押し付けたり説得しようとしない姿勢です。神学校時代に「回心」について学ぶ授業があり、当時の教授は回心についての考え方を教えてくれました。「回心とは複雑で、長引き、急がされないものである。それらを受け止めるならば、私たちの経験はより良く理解することが出来る。(中略)もし回心が引き延ばされたプロセスであるならば、伝道は希望と愛、慰めと忍耐深いものとなり、彼らそれぞれのペースに合わせて、キリストに対する信仰を持つことが出来るようにするからである。(1)」
 関わる一人一人の信仰に対する姿勢と考え方、そして信仰決心へと導かれるプロセス(過程)を受け止めながら、祈りを持って待ち望みつつイエスさまを伝えていきましょう。この教会に信仰決心に導かれる人が次々に与えられるように祈っていきましょう。        (笠川路人)
(1)ゴードン・スミス「Beginning Well」31頁

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