20140525 出会いの大切さ-高麗聖書教会牧師時代②-2014年05月25日

 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。    伝道者の書3章11節

高麗での20年間は、ある男性との出会いが大きく影響しました。その男性のことをG兄と呼ばせていただきます。1994年赴任3日目の夕方、教会の呼び鈴が鳴り玄関に降りて行くと、そこにいたのは、今まで経験したことのない異臭を放ち立っている真っ黒な顔のGさんでした。彼は私に「カップラーメンを買うから」とお金を求めてきました。私はお金は渡さない方針でしたので、要求金額を50円まで下げてもお金は渡しませんでした。そんな私にGさんが吐き捨てたことばは「お前なんて大阪に帰れ」でした。けれどもこの出会いからGさんと私たち、そして教会との麗しい歩みが始まりました。
教会の方々の勧めと協力で、Gさんに教会内の色々な仕事をお願いし、その御礼としてお金を渡すようになりました。1995年1月にはGさんが寒くても、雨でも仕事ができるようにと敷地内にプレハブが建てられました。それでも最初の3年間は、暖かくなると放浪に出てしまう状況が続きましたが、1997年夏、四苦八苦しながらGさんにアルコール専門病棟に入院してもらい、退院後は病院からのアドバイスに従い、教会内で生活をするようになりました。そのころからGさんは、お酒を断ち、教会内で作業をする日々を過ごしています。
実は、Gさんは高麗生まれの有名な地元密着型浮浪者でしたので、あのGさんが教会で穏やかな日々を過ごしていることは、地域の方々が教会を受け入れ、私たちを受け入れてくれる大きな要因となりました。
G兄は今年60歳になります。20年前、異臭を放ち、真っ黒な顔をした男性を拒否していたら今のG兄も、また福祉に関心を持つ私たちも存在していなかったと思うと、出会いの大切さ、すばらしさを覚えます。ですから今は、茨木聖書教会の方々との再会と新しい出会いを楽しみにしつつ、神さまのすばらしい御業に期待しながら日々過ごしています。

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