聖書のみ ― 2025年07月27日
しばらく待て。あなたに示そう。まだ神のために言い分があるからだ。
ヨブ記36章2節
ラム族ブズ人、バラクエルの子エリフのことばは、ヨブ記36章も続きます。そして冒頭で引用した個所には、エリフの発言の立ち位置が滲み出ています。「神のために言い分がある」。このエリフの発言からは、神の代弁者としての立ち位置が見えてきます。
しかし、エリフが語り始めた時の立ち位置は違いました。
すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを不義に定めながら、言い返せなかったからである。
ヨブ記32章2~3節
ここに記されている通り、エリフが語り始めた時の原動力、立ち位置は、「怒り」でした。「ヨブに向かって怒りを燃やし」(2節)、「三人の友に向かっても怒りを燃やし」(3節)とある通りです。しかしそれがいつの間にか、神さまの代弁者的な立ち位置に変わっていったのです。
このようなエリフの変化は、エリフだけのことではありません。私たちも気をつけなければ、「神さまについて」「イエスさまについて」「聖霊なる神さまについて」聖書に記されている知識が増し加えられていく時、知らないうちに高慢になり、自分を神の代弁者と位置付けてしまいやすいのです。
エリフのように高慢になり、自分を神の代弁者と位置付けてしまわないように、「聖書」に記されていることだけを、神のことばとして語ることが大事です。そして下記の通り、「膝をかがめ」「イエス・キリストは主です」と告白することが大事です。
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
ピリピ人への手紙2章10~11節
今週も膝をかがめ、「イエス・キリストは主です」と告白しつつ歩みましょう。 (吉持日輪生)
ヨブ記36章2節
ラム族ブズ人、バラクエルの子エリフのことばは、ヨブ記36章も続きます。そして冒頭で引用した個所には、エリフの発言の立ち位置が滲み出ています。「神のために言い分がある」。このエリフの発言からは、神の代弁者としての立ち位置が見えてきます。
しかし、エリフが語り始めた時の立ち位置は違いました。
すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを不義に定めながら、言い返せなかったからである。
ヨブ記32章2~3節
ここに記されている通り、エリフが語り始めた時の原動力、立ち位置は、「怒り」でした。「ヨブに向かって怒りを燃やし」(2節)、「三人の友に向かっても怒りを燃やし」(3節)とある通りです。しかしそれがいつの間にか、神さまの代弁者的な立ち位置に変わっていったのです。
このようなエリフの変化は、エリフだけのことではありません。私たちも気をつけなければ、「神さまについて」「イエスさまについて」「聖霊なる神さまについて」聖書に記されている知識が増し加えられていく時、知らないうちに高慢になり、自分を神の代弁者と位置付けてしまいやすいのです。
エリフのように高慢になり、自分を神の代弁者と位置付けてしまわないように、「聖書」に記されていることだけを、神のことばとして語ることが大事です。そして下記の通り、「膝をかがめ」「イエス・キリストは主です」と告白することが大事です。
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
ピリピ人への手紙2章10~11節
今週も膝をかがめ、「イエス・キリストは主です」と告白しつつ歩みましょう。 (吉持日輪生)
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