エステル記から学ぶこと ― 2024年11月10日
第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。
エステル記9章1節
冒頭の「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」と読むと、少し戸惑いを覚えながらも、「神さまがそのようにされたのか」と受容できますが、その先を読み進めると、本当にこれでいいのかと思ってしまいます。
王は王妃エステルに言った。「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。 それをかなえてやろう。」
エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」
エステル記9章12~13節
「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」だけでなく、さらにもう一日「ユダヤ人の敵」を攻撃することを求め、そしてそれが実施されていきます。
「神さまの愛」とか「神さまの赦し」など微塵も感じられない内容です。このようなエステル記から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。それはまさに人間の罪深さです。聖書の神さまを信じていても、また信じていなくても、私たちの中にはエステルと同様、「目には目」(出エジプト記21章24節前半)では終われない愚かさがあります。
「神」ということばも、神さまを表す「主」ということばも出てこないエステル記は、まさに神を認めない社会の罪深さに満ちています。私たちはエステル記を読みつつ、同じ罪深さが私の中にもあることを自覚し、だからこそ神さまを認め、神さまにその罪を赦していただく経験を重ね、私たちがまずお互いに愛し合い、赦し合う関係になることを求めていくことです。
今週も、お互いに愛し合い、赦し合う関係の中を歩みましょう。
(吉持日輪生)
エステル記9章1節
冒頭の「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」と読むと、少し戸惑いを覚えながらも、「神さまがそのようにされたのか」と受容できますが、その先を読み進めると、本当にこれでいいのかと思ってしまいます。
王は王妃エステルに言った。「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。 それをかなえてやろう。」
エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」
エステル記9章12~13節
「ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」だけでなく、さらにもう一日「ユダヤ人の敵」を攻撃することを求め、そしてそれが実施されていきます。
「神さまの愛」とか「神さまの赦し」など微塵も感じられない内容です。このようなエステル記から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。それはまさに人間の罪深さです。聖書の神さまを信じていても、また信じていなくても、私たちの中にはエステルと同様、「目には目」(出エジプト記21章24節前半)では終われない愚かさがあります。
「神」ということばも、神さまを表す「主」ということばも出てこないエステル記は、まさに神を認めない社会の罪深さに満ちています。私たちはエステル記を読みつつ、同じ罪深さが私の中にもあることを自覚し、だからこそ神さまを認め、神さまにその罪を赦していただく経験を重ね、私たちがまずお互いに愛し合い、赦し合う関係になることを求めていくことです。
今週も、お互いに愛し合い、赦し合う関係の中を歩みましょう。
(吉持日輪生)
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