20150426 祈っていたからできたこと ― 2015年04月26日
彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った。 創世記43章33節
創世記43章は、ヨセフの兄弟たちが再びヨセフの元へ行く場面です。特にベニヤミンとの再会にヨセフは涙していますが、その理由は、恐らく創世記35章18~19節「彼女(ヨセフの母ラケル)が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父(ヤコブ)はベニヤミンと名づけた。こうしてラケルは死んだ」。この出来事のゆえにヨセフは涙したのでしょう。ラケルがヤコブとの間に産んだ子どもはヨセフとベニヤミンだけで、その母ラケルは、ベニヤミンを出産して亡くなっていたのです。ヨセフにとって幼かったベニヤミンの成長した姿に感動しただけでなく、ベニヤミンの姿と重なるように亡き母を思い出し涙したのです。
さてヨセフは、今回の兄弟たちとの再会では、前回と違いとても温かく歓迎しています。監禁していたシメオンをすぐに兄弟の元へ返し(23節)、また昼食の席を用意し、豊かな食事で歓迎しています。そして少しずつ自分のことを明らかにする雰囲気を出していると感じられるのは、上記聖書箇所です。ヨセフは17年間という年月を経ながらも、兄弟たちを年齢順に座らせたというのです。対象が幼い子どもであれば、身長の差などで年の違いを感じ安いのでしょうが、大人になると見た目だけで判断するのは困難です。つまりヨセフは、兄弟ひとりひとりの顔や特徴をしっかり覚えていたからこそ、年齢順に座らせることができたのでしょう。
ではなぜヨセフは兄弟たちの顔や、特徴を間違えることなく覚えていたのでしょうか。きっかけは兄弟への憎しみ、恨みからであったのかもしれませんが、エジプトの地で地位を得、7年間の豊作後の7年間の飢饉を迎える中で、ヨセフはカナンの地に住む父親をはじめ、兄弟たちのために祈っていたからこそ区別できたのでしょう。
今週は、両親、兄弟の顔を思い出し祈る一週間としましょう。
創世記43章は、ヨセフの兄弟たちが再びヨセフの元へ行く場面です。特にベニヤミンとの再会にヨセフは涙していますが、その理由は、恐らく創世記35章18~19節「彼女(ヨセフの母ラケル)が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父(ヤコブ)はベニヤミンと名づけた。こうしてラケルは死んだ」。この出来事のゆえにヨセフは涙したのでしょう。ラケルがヤコブとの間に産んだ子どもはヨセフとベニヤミンだけで、その母ラケルは、ベニヤミンを出産して亡くなっていたのです。ヨセフにとって幼かったベニヤミンの成長した姿に感動しただけでなく、ベニヤミンの姿と重なるように亡き母を思い出し涙したのです。
さてヨセフは、今回の兄弟たちとの再会では、前回と違いとても温かく歓迎しています。監禁していたシメオンをすぐに兄弟の元へ返し(23節)、また昼食の席を用意し、豊かな食事で歓迎しています。そして少しずつ自分のことを明らかにする雰囲気を出していると感じられるのは、上記聖書箇所です。ヨセフは17年間という年月を経ながらも、兄弟たちを年齢順に座らせたというのです。対象が幼い子どもであれば、身長の差などで年の違いを感じ安いのでしょうが、大人になると見た目だけで判断するのは困難です。つまりヨセフは、兄弟ひとりひとりの顔や特徴をしっかり覚えていたからこそ、年齢順に座らせることができたのでしょう。
ではなぜヨセフは兄弟たちの顔や、特徴を間違えることなく覚えていたのでしょうか。きっかけは兄弟への憎しみ、恨みからであったのかもしれませんが、エジプトの地で地位を得、7年間の豊作後の7年間の飢饉を迎える中で、ヨセフはカナンの地に住む父親をはじめ、兄弟たちのために祈っていたからこそ区別できたのでしょう。
今週は、両親、兄弟の顔を思い出し祈る一週間としましょう。
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