20140427 主を待ち望む者-神学生時代前半(東京都国立市)- ― 2014年04月27日
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」 イザヤ書40章31節
21歳の4月、住み慣れた茨木の地を離れ、東京都国立市にあった全寮制の東京キリスト教学園に入学しました。2人1部屋の寮生活が始まりましたが、私の同室者はなんと60歳代の元社長さんでした。寮生全員がクリスチャンで、多くの生徒が牧師を目指している寮ですから、きっちりとした生活ができていると思っていましたが、やはり皆罪人でした。早天祈り会に出て来ない人、掃除をさぼる人、使ったものを片付けない人、共同冷蔵庫の中からは個人名が書かれた食べ物がなくなるという状況でした。
そのような現実に直面して強く思わされたことは、クリスチャンは良い人の集まりではなく、イエスさまの十字架なくしては決して救われないことを自覚している人たちの集まりだということでした。
私は、このような寮の現実にしっかりと向き合いたく1年の秋から寮運営委員に加わり、2年目の秋からは寮長を務めました。その頃の経験が、今の牧会姿勢に大きく影響しているように思います。私が特に取り組んだ分野は掃除でした。それまでの掃除区域を順番にまわしていくやり方から、それぞれが自覚と責任をもって掃除ができるように、自主的に掃除場所を選ぶ方法に変えました。楽なところを率先して選ぶこともできれば、率先して大変な場所を選ぶこともできる中、私は率先して大変な場所を選ぶようにしました。また掃除に取り組めない人には、優しくあなたが自主的に選んだのだからあなたなりの頻度であなたなりのやり方で掃除するように励ましました。なぜなら強制的に掃除をさせても、それは一時的、表面的なものであって、本当の意味でその人のものにならないからです。それよりもその人が掃除を自主的にできるまで待つことに期待しました。待つことは辛いことですが、しかしみことばにある通り「新しい力を得る」尊い時間であったと思わされています。(つづく)
21歳の4月、住み慣れた茨木の地を離れ、東京都国立市にあった全寮制の東京キリスト教学園に入学しました。2人1部屋の寮生活が始まりましたが、私の同室者はなんと60歳代の元社長さんでした。寮生全員がクリスチャンで、多くの生徒が牧師を目指している寮ですから、きっちりとした生活ができていると思っていましたが、やはり皆罪人でした。早天祈り会に出て来ない人、掃除をさぼる人、使ったものを片付けない人、共同冷蔵庫の中からは個人名が書かれた食べ物がなくなるという状況でした。
そのような現実に直面して強く思わされたことは、クリスチャンは良い人の集まりではなく、イエスさまの十字架なくしては決して救われないことを自覚している人たちの集まりだということでした。
私は、このような寮の現実にしっかりと向き合いたく1年の秋から寮運営委員に加わり、2年目の秋からは寮長を務めました。その頃の経験が、今の牧会姿勢に大きく影響しているように思います。私が特に取り組んだ分野は掃除でした。それまでの掃除区域を順番にまわしていくやり方から、それぞれが自覚と責任をもって掃除ができるように、自主的に掃除場所を選ぶ方法に変えました。楽なところを率先して選ぶこともできれば、率先して大変な場所を選ぶこともできる中、私は率先して大変な場所を選ぶようにしました。また掃除に取り組めない人には、優しくあなたが自主的に選んだのだからあなたなりの頻度であなたなりのやり方で掃除するように励ましました。なぜなら強制的に掃除をさせても、それは一時的、表面的なものであって、本当の意味でその人のものにならないからです。それよりもその人が掃除を自主的にできるまで待つことに期待しました。待つことは辛いことですが、しかしみことばにある通り「新しい力を得る」尊い時間であったと思わされています。(つづく)
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