201301202013年01月20日

宝を天に
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」
 マタイの福音書6章19~20節

 聖書は財産を持つことを否定していません。将来のために備えることは賢明なことです。子どもたちの教育資金、老後の備えなど、また自立した経済生活を営むために資金をたくわえることは大切なことです。イエス様が上記の聖書箇所で警告していることは、自分のことのみに焦点を合わせて富を築き上げることです。
イエス様のたとえ話に「金持ちの農夫」の話があります。彼の畑が豊作で作物をたくわえておく場所がありません。そこで彼はもっと大きな倉を建て穀物や財産をみなそこにしまっておこうとします。その上で、自分のたましいに言うのです。「これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」しかし神様は彼に言われるのです。「愚か者。おまえのたましいが今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」このたとえ話のポイントは、金持ちの農夫がただ自分のことだけしか考えていないことです。他の人の必要のために分かち合うことや、祝福してくださった神様に一部をお捧げして感謝を表すことなど少しも考えていないことです。彼は積み上げた富をただ自分のことだけに用いようとしたのです。
イギリスの伝道者ジョン・ウェスレーはたいへん有名な説教家でした。彼の説教集は多くの人々に読まれ、その売上げによって彼は多額な収入を得ていました。しかし彼が亡くなったとき、彼の手元に残されたお金はたった28ポンドだったというのです。彼は得た収入の大半を神様の働きのために捧げていたのです。自分の宝を天にたくわえるとは、神様によって与えられた富を、自分のためにだけに用いるという自己中心的な生き方をするのではなく、他の人の必要のために、とりわけたましいの救いのために用いることなのです。