まだ息があります2026年09月20日

息のあるものはみな  主をほめたたえよ。
ハレルヤ。                        詩篇 150篇6節

また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。
「御座に着いておられる方と子羊に、
 賛美と誉れと栄光と力が   
 世々限りなくあるように。」           ヨハネの黙示録 5章13節

1.生と死の間を生きる(個人的終末)
 私たちは普段、自分が「息をしている(生きている)」ことを意識せずに暮らしています。しかし、病や非日常、あるいは死の影を意識するとき、かえって自らのいのちを身に沁みて実感します。人間は死に向かう弱く小さな存在だからこそ、いま生きている自らの命をいとおしみ、大切にし始めるのです。
 圧倒的で壮大な神のみことばの前に立つときも同じです。自らの小ささと自らが死にゆく存在であることを痛感させられます。しかしその時、自らを形造った神の息吹と御霊を感じ、生かされているいのちの実感を味わうのです。自らの死を意識する地平から、生かされている恵みを知る「個人的終末」の視点において、息のある私たちは神を賛美する存在となります。

2.みんな賛美(一般的終末)
 さらに、この限られたいのちは、虚しく終わるわけではありません。詩篇全巻をしめくくる「アーメン」という祈りから、最後の150篇で「ハレルヤ」という賛美で、詩篇全篇が締めくくられるように、私たちの祈りは、神の栄光へと導かれます。それは、自ら息を吐き切り十字架で死なれた主イエス・キリストが、死を打ち破って復活され、永遠のいのちをもたらされたからです。キリストを通して、死にむかうしかない私たちは、死を突き抜けて、神の栄光へと至ります。
 そして、この「ハレルヤ」という賛美は、私一人の祈りや死(個人的終末)にとどまりません。それは全世界、天と地のすべての被造物が共に神をほめたたえる「一般的終末」の完成へと広がっていきます。「息のあるもの」とは、人間を含むすべての被造物のことです。

 私たちはまだ終わりの日に到達しておらず、今も息をしています。だからこそ、すべての造られたものが御座に着く方と子羊を賛美する栄光の「終わりの日」を待ち望みつつ、今日という日を「アーメン」と祈り歩むのです。私たちの祈りは、やがて全被造物による「ハレルヤ」の賛美へと変えられます。 
                  (くずは聖書教会 廣坂洋行師)