「律法の書」は語られ、聞くもの2022年12月25日

そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「主の宮で律法の書を見つけました」と言った。そしてヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。                         列王記第二 22章8節

 列王記第二22章から登場する南王国(ユダ)のヨシヤ王について、聖書は次のように記しています。

彼は主の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。                     列王記第二 22章2節

 久しぶりに登場した「主の目にかなうことを行う」王さまですが、その時代に大切なあるものが発見されます。それが冒頭引用箇所に記されている「律法の書」です。
 あまりにも「主の目に悪であることを行う」王さまばかりが続いたからでしょう、「律法の書」は読まれることもなく、それがどこにあるのかも、わからなくなっていたのです。
 さて、その「律法の書」が見つけられた時、人々はどのような行動をとったでしょうか。冒頭引用箇所でも「彼はそれを読んだ」とありますし、さらに列王記第二22章10節最後でも「シャファンは王の前でそれを読み上げた」とあります。
 当たり前のことですが「律法の書」は読まれるものであり、語られるものだからこそ、「律法の書」発見と共に、「律法の書」が読まれ、語られたのです。その時、何が起こったでしょうか。

王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。 
                          列王記第二 22章11節

 「律法の書」が語られる時、そのことばが人々に届く時、そこには悔い改めが生じるのです。
 2022年最後の週、私たちも、「聖書」に記されている神さまのことばに耳を傾け、悔い改めをもって新年を迎えましょう。(吉持日輪生)

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