伝道者の書-まとめ22016年08月28日

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。 伝道者の書 12章 13,14節

 前回から、伝道者の書のまとめをしています。前回は、労苦は人間である以上、当然に伴う呪いゆえの苦しみであるが、労苦自体を喜び、労苦から得た生活の糧や夫婦関係を楽しむことができる道が神から与えられていることを確認しました。
 今回は、上記の聖書箇所、伝道者の書の最後がどのような意味を持つのかを探っていきたいと思います。
 伝道者の書ではこれまで見てきたように、労苦の結果、生き方の結果など、あらゆるものがむなしく、さらに、神から与えられている受ける分さえも分け与えるようにとも言われています。伝道者の書では、地上にあるもの、行われていることは全てむなしいと言われています。つまり、地上への執着を捨てた方が良いのです。労苦、仕事や生き方による成功、良い結果を求めることは何の意味もないのです。そして、伝道者の書の著者があらゆることを経験して至った結論が、神を恐れ、神の命令を守ることがすべてであるということなのです。
 これは、イエス様の言っていることにも通じます。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」    (マタイ6: 33, 34)
 明日を心配するということは、結果やあらゆる時が神の支配にあることを認められていないという証拠です。それらを追い求めることがむなしいと心から思えていないのです。伝道者の書が示す生き方、イエス様が示す生き方は、その日その日の労苦を人間として謙虚に受け取り、目の前の労苦に真剣に取り組むこと、そして、労苦の結果や明日の状況は人間には決められないからこそ神を恐れ、神の求めていることを行うことなのです。
 自らがどれだけ地上に執着しているかを問い、伝道者の書、そしてイエス様が求めている生き方に導かれていきましょう。       (吉持尽主伝道師)
※次週から吉持日輪生師の出エジプト記講解31章になります。