「ひとり」神さまと向き合う 201603202016年03月20日

モーセひとり主のもとに近づけ。他の者は近づいてはならない。民もモーセといっしょに上ってはならない。          出エジプト記24章2節

今週は、キリスト教の暦では「受難週」となります。イエスさまの十字架を深く覚える1週間です。イエスさまの十字架への道を辿ると、そこに見えてくる一つの姿は「ひとりで神さまの前に出る道」です。
受難週の1週間は、まずマタイの福音書21章に記されているろばの子の背に乗りエルサレムに入場するところから始まります。その時の様子を聖書はこのように記しています。「そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた」(マタイ21章7~8節)。ここに記されている通り十字架への道は、群衆の大ぜいの者と共に始まりました。そして木曜日、最後の晩餐のところでは、次のように記されています。「そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた」(マタイ26章19~20節)。ここではイエスさまは十二弟子と共におられます。そしてゲツセマネの祈りの場面では、「それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。『わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。』それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた」(マタイ26章36~37節)。ここではイエスさまの近くにいたのは「ペテロとゼベダイの子ふたり(ヤコブとヨハネ)」の3人だけでした。そしていよいよイエスさまが捕らえられた時「弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」(マタイ26章56節b)。このようにイエスさまの十字架は、「ひとり神さまの前に出る道」でした。
そしてモーセも、この出エジプト記24章で、ひとり神さまと向き合っています。受難週、私たちも「ひとり神さまと向き合う」時として過ごしてみましょう。
                          (吉持日輪生牧師)