200150419 心の傷は癒やされる2015年04月19日

ヨセフは彼らから離れて、泣いた。           創世記42章24節

創世記42章は、これまで何があっても常に平常心を保っているように見えたヨセフの印象とは違い、動揺しているヨセフの姿が明らかにされています。その筆頭が、上記聖書箇所です。「ヨセフは・・・泣いた」(24節)。それだけではありません。「ヨセフはかつて彼ら(兄弟たち)について見た夢を思い出して、彼らに言った『あなたがたは間者だ。この国のすきをうかがいに来たのだろう』」(9節)、ここでもヨセフは17歳の時に見た夢を思い出し、兄弟たちに言いがかりを付けています。さらに兄弟たちを三日間監禁所に入れたり(17節)、シメオンを縛ったり(24節)、兄弟たちが穀物を買うために支払った銀をそれぞれの袋に返したり(25節)とヨセフの落ち着かない様子が続きます。
しかしヨセフは、ここに来て急に動揺し始めているのではありません。これまで冷静沈着、常に平静のように見えましたが、実際のヨセフはかなり動揺していたのです。そのことが垣間見られるのが21節のことばです。「彼らは互いに言った。『ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。』」。ここに記されている通り、ヨセフは17歳の時、兄弟たちに裏切られ、穴に入れられ、奴隷として売られた時、ヨセフはあわれみを請い、ヨセフの心の苦しみを兄弟たちに明らかに示していたのです。にもかかわらず兄弟たちはヨセフの思いを聞き入れなかったのです(21節)。このようなヨセフの状況を知る時、創世記42章での言動も少し理解できます。兄弟たちに間者だと言いがかりを付けたり、三日間監禁したり、シメオンを縛り上げたりの背景には、やはりヨセフが受けた苦しみ、心の傷があったのです。しかし、ヨセフは神さまにその心の傷を癒やしていただき、最後に次のように兄弟たちに語っています。「私をここ(エジプト)に遣わしたのは、あなたがた(兄弟たち)ではなく、実に、神なのです」(創世記45章8節)。心の傷は必ず癒やされます。