20120729 礼拝は神様に感謝すること ― 2012年07月29日
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」 ローマ人への手紙8章32節
礼拝は神様が私たちに成し遂げてくださったことについて感謝することです。その中心はイエス様の十字架と復活です。神様はこの世界にイエス様を遣わし、私たちの罪の身代わりとしてイエス様を十字架にお付けになりました。イエス様が私たちの罪から来る責めを十字架で身代わりに引き受けてくださったので、私たちは罪からの責めを受ける必要が無くなったのです。私たちが成したすべての間違いをイエス様が償ってくださったのです。そしてイエス様が十字架において罪の力を打ち破ってくださったゆえに、私たちは罪の中にとどまる必要がなく、生き方を変えることができるようになったのです。私たちは変わることができるのです。さらにイエス様の十字架と復活は天国に私たちの場所を保証してくれたのです。これほどのグッド・ニュース(福音)があるでしょうか。礼拝は神様が私たちに成し遂げてくださったことへの感謝から行われるものです。神様は感謝を表す者を喜び愛してくださるのです。
このような神様への感謝は日曜日の礼拝のときだけに限定されたものではありません。私たちの毎日の歩みの中で絶えず神様への感謝がささげられるべきです。礼拝は私たち神様を信じる者の生き方だと言われます。毎日が礼拝生活であることを覚えるとき、それは神様に感謝する生活を実践することです。そこに礼拝が成立していくのです。朝起きたとき、神様に生かされていることを感謝することです。シャワーを浴びて体をきれいにしたとき、お湯が備えられていることを感謝することです。服を着るとき、服が与えられていることを感謝することです。朝食を摂るとき、食べ物が与えられていることを感謝することです。仕事に出かけるとき、働く場所が備えられていることを感謝することです。絶えず感謝をささげる姿勢こそが私たちの礼拝なのです。
礼拝は神様が私たちに成し遂げてくださったことについて感謝することです。その中心はイエス様の十字架と復活です。神様はこの世界にイエス様を遣わし、私たちの罪の身代わりとしてイエス様を十字架にお付けになりました。イエス様が私たちの罪から来る責めを十字架で身代わりに引き受けてくださったので、私たちは罪からの責めを受ける必要が無くなったのです。私たちが成したすべての間違いをイエス様が償ってくださったのです。そしてイエス様が十字架において罪の力を打ち破ってくださったゆえに、私たちは罪の中にとどまる必要がなく、生き方を変えることができるようになったのです。私たちは変わることができるのです。さらにイエス様の十字架と復活は天国に私たちの場所を保証してくれたのです。これほどのグッド・ニュース(福音)があるでしょうか。礼拝は神様が私たちに成し遂げてくださったことへの感謝から行われるものです。神様は感謝を表す者を喜び愛してくださるのです。
このような神様への感謝は日曜日の礼拝のときだけに限定されたものではありません。私たちの毎日の歩みの中で絶えず神様への感謝がささげられるべきです。礼拝は私たち神様を信じる者の生き方だと言われます。毎日が礼拝生活であることを覚えるとき、それは神様に感謝する生活を実践することです。そこに礼拝が成立していくのです。朝起きたとき、神様に生かされていることを感謝することです。シャワーを浴びて体をきれいにしたとき、お湯が備えられていることを感謝することです。服を着るとき、服が与えられていることを感謝することです。朝食を摂るとき、食べ物が与えられていることを感謝することです。仕事に出かけるとき、働く場所が備えられていることを感謝することです。絶えず感謝をささげる姿勢こそが私たちの礼拝なのです。
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