祈る人、へりくだる者2024年03月03日

これらの真実なことが行われた後、アッシリアの王センナケリブが来てユダに入り、城壁のある町々に対して陣を敷いた。それらを攻め取ろうと考えたのである。
                           歴代誌第二32章1節

 歴代誌第二30章、31章でヒゼキヤ王が取り組んだことを、上記引用個所では「これらの真実なこと」と表現しています。その通り、ヒゼキヤ王は真実なことを行う人でした。しかし、そのように「真実なこと」を次々と行ったヒゼキヤ王でしたが、彼の身に、彼の内に様々なことが起こります。
 冒頭引用個所後半には、アッシリアの王センナケリブからの攻撃に直面します。その時、ヒゼキヤ王が取った行動は以下の通りでした。

ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた。                       歴代誌第二32章20節

 その後、今度は「ヒゼキヤ王が病気になって死にかかり」(24節)とありますが、その時もヒゼキヤ王は祈ります。

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。           歴代誌第二32章24節

 またさらにヒゼキヤ王が、神さまの恵みでいやされたにもかかわらず、その恵みに応えようとしないため、御怒りがユダとエルサレムに下ろうとした時は、

しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。
                          歴代誌第二32章26節

 ヒゼキヤ王は、「真実なこと」を行う人であり、祈りの人であり、へりくだる人だったことが伝わってきます。私たちも今週、「真実なこと」を行う人として、祈る人として、へりくだる者として歩みましょう。           (吉持日輪生)

主こそ神であることを知る2024年03月10日

マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。
                           歴代誌第二33章1節

 素晴らしい改革を行ったヒゼキヤ王の息子マナセ王は、「エルサレムで55年間、王であった」と上記聖書箇所に記されている通り、南王国(ユダ)最長在任期間の王となっています。しかも「12歳で王となり」、「67歳(12+55)」まで王さまであったことになります。この年齢も68歳まで王であったウジヤ王に次ぐ数字です。しかし、マナセ王の歩みは、父ヒゼキヤ王とは違い「主の目に悪であることを行う」ものでした。

彼は、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目に悪であることを行った。そして、父ヒゼキヤが取り壊した高き所を築き直し、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造った。また、彼は天の万象を拝んでこれに仕えた。        
                      歴代誌第二33章2~3節

 けれども父ヒゼキヤ王の良いものも受け継いでいました。そのことがこのように記されています。

しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。
                      歴代誌第二33章12~13節

 苦しみを通してへりくだり「主こそ神であることを知った」マナセ王の取り組みは一変します。

また彼は、主の宮から異国の神々と偶像、および、主の宮のある山とエルサレムに自分が築いたすべての祭壇を取り除き、町の外に投げ捨てた。そして、主の祭壇を築き直し、その上で交わりのいけにえと感謝のいけにえを献げ、ユダに命じて、イスラエルの神、主に仕えさせた。        
                     歴代誌第二33章15~16節

 このマナセ王の変化から「主こそ神であることを知ること」の大切さを教えられます。
今週も「主こそ神であることを知る」日々を歩みましょう。    (吉持日輪生)

「神のことば」を若い世代で2024年03月17日

彼(ヨシヤ王)の治世の第八年、まだ若いころに、彼は父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年にユダとエルサレムをきよめて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および鋳像を除き始めた。             
                       歴代誌第二34章3節

 ヨシヤ王は、1節で「八歳で王となり」とありますので、上記聖書個所の「治世の第八年」とは、ヨシヤ王16歳の時となります。ヨシヤ王は、「まだ若い」16歳のころに「父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年に」、つまりヨシヤ王20歳の時に「ユダとエルサレムをきよめて、高き所、…を除き始め」ました。
 このようなヨシヤ王の取り組みは続けられ、「その(ヨシヤ王の)治世十八年に」、つまりヨシヤ王26歳の時に、宮の修理も始めます。その宮の修理を進めていく中で、「モーセを通して示された主の律法の書を見つけ」、祭司ヒルキヤは、その書物を書記シャファンに渡します。書記シャファンはその書物を王の前で朗読し、その「書物のことば」を聞いたヨシヤ王は、「自分の衣を引き裂き」、心を痛めへりくだります。

あなたがこの場所とその住民について神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛めて神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を引き裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。
                          歴代誌第二34章27節

 上記聖書個所にある通り、「神のことばを聞いたとき」、ヨシヤ王は「心を痛め」「へりくだり」「自分の衣を引き裂き」「泣いた」とあります。そしてその後、この「契約の書のことばをすべて彼ら(ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、上の者から下の者まで、すべての民)に読み聞かせ」ます。その応答として民は神さまの前に「契約のことばを行うことを誓い」「神の契約にしたがって行動」しました。
 ヨシヤ王の素直な「神のことば」に対する反応は、ヨシヤ王個人に影響を与えるだけでなく、当時の人たち全体に影響を及ぼしています。「神のことば」の力強さを教えられます。
 ヨシヤ王は、この力強い「神のことば」に若い頃から触れることができました。私たちも、今を生きている若い世代に、この「神のことば」をしっかり響かせ、届けていきましょう。     (吉持日輪生)

成長させてくださる神さま2024年03月24日

さて、ヨシヤはエルサレムで主に過越のいけにえを献げた。人々は第一の月の十四日に過越のいけにえを屠った。彼は祭司たちをその任務に就かせ、彼らを力づけて、主の宮の奉仕に当たらせた。            
                   歴代誌第二 35章1~2節

 先週取り上げた歴代誌第二34章に記されていた通り、ヨシヤ王の改革は、「高き所の排除」「宮の修理」と進められていきました。そして歴代誌第二35章では、上記聖書個所に記されている通り「過越のいけにえ」を献げています。少し前にも同じような記述があったことを思い出し、振り返ると歴代誌第二30章に記されていたヒゼキヤ王でした。
 ヒゼキヤ王は、ヨシヤ王より2代前の王様で、これはヨシヤ王の時代より約70年前くらいの出来事です。その時は、「身を聖別した祭司たちが十分な数に達していなかった」ため、第一の月ではなく、第二の月に「過越のいけにえ」を献げたと記されています。けれどもヨシヤ王の時は、「第一の月の十四日に過越のいけにえを献げた」と記されています。もう一つの違いは、祭りの期間と献げもの数です。ヒゼキヤ王は、七日間にさらに七日間祭りを行っていますが、ヨシヤ王は律法の書に記されている通り七日間でした。献げものの数は、ヒゼキヤ王の時は、「千頭の雄牛」「七千匹の羊」、高官たちも「千頭の雄牛」「一万匹の羊」を会衆に提供しています(歴代誌第二30章24節)。一方ヨシヤ王は「三万匹の子羊とやぎの子」「三千頭の牛」を提供しています。それ以外に王の高官たち、神の宮のつかさたち、ヒルキヤ、ゼカリヤ、エヒエルが「二千六百匹の羊」「三百頭の牛」、さらにレビ人の長たち「五千匹の羊」「五百頭の牛」を提供しています(歴代誌第二35章8~9節)。
 ヒゼキヤ王の時代から約70年後のヨシヤ王の時代の「過越のいけにえ」は、提供する人たちの数も、またいけにえの数も圧倒的に増えています。そこに神さまからの祝福によって整えられ、祝福されているイスラエルの歩みを感じます。

ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。                   コリント人への手紙第一 3章7節

今週も、成長させてくださる神さまに、私たちの成長を祈り求めましょう。(吉持日輪生)

私はどうだろうか2024年03月31日

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにしたので、ついに主の激しい憤りが民に対して燃え上がり、もはや癒やされることがないまでになった。
                   歴代誌第二36章15~16節

 今回で歴代誌第二を読み終えますが、歴代誌第二最後の36章には、どのようなことが記されていたでしょうか。歴代誌第二30章のヒゼキヤ王の改革、そして先週取り上げた歴代誌第二34章のヨシヤ王の改革がなされ、良い感じになりつつあったユダとイスラエルですが、歴代誌第二36章は、「主の目に悪であることを行った」(5節)、「彼は主の目に悪であることを行った」(9節)、「彼はその神、主の目に悪であることを行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」(12節)、「そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の忌み嫌うべきすべての慣わしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した」(14節)と、どの王様もひどい状況だったことが記されています。
 そのような状況の中、神さまはあきれて何もしなかったのではありません。冒頭引用個所に記されている通り「主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされ」ていました。しかし、ユダとイスラエルの人たちの対応は「神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにした」とあります。
 これらの出来事は、今から数千年前の人たちの姿ですが、今を生きている私たちにも当てはまります。同じです。神さまは、あわれみをもって今も、私たちが自らの罪に、間違いに気付くように様々な出来事を通して、また聖書の言葉を通して、またクリスチャンや、クリスチャンでない方々の言葉を通して語りかけています。神さまは、私たちの心に「たびたび使者を遣わして」くださっているのです。私たちは、そのような「使者」にどのように向き合っているでしょうか。侮っていないでしょうか。蔑んでいないでしょうか。笑いものにしていないでしょうか。
 今週も、神さまは、今を生きている私たちに、間違いを、罪を、そして何よりも神さまの愛に気付いてもらいたいからこそ、様々な使者を届けてくださっています。その一つ一つをしっかり受け止めることができるように、祈りつつ、心を目を、心の耳を研ぎ澄まして歩みましょう。               (吉持日輪生)