私たちの間に臨在する神さま2017年01月22日

 イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。                          民数記2章2節

民数記2章には、「天幕(幕屋)」を中心とした、各部族の配置が記されています。それが左図ですが、これを見て何か感じるものがあるでしょうか。私の印象は「12部族すべてが同じ方向を向いていなかった」というものでした。
図にある通り「天幕(幕屋)」を中心に3部族がお互いに向き合っています。西の「エフライム」「マナセ」「ベニヤミン」の向かいには、「ユダ」「イッサカル」「ゼブルン」が位置し、北の「ナフタリ」「アシェル」「ダン」の向かいには、「ガド」「シメオン」「ルベン」が位置しています。同じ「約束の地」を目指すイスラエルの民がみな、同じ方向を向いていなかったというのは、私にとってはとても新鮮でした。そして教会のあり方についても、この宿営のようでいいのだと再確認させられました。
 つまり教会も、みなが同じ方向に向かなければ「約束の地」へとたどり着けないのではなく、共に「約束の地」を目指すからこそ、私たちもお互いに向き合うのです。そして意見をぶつけ合い、やり方について、考え方について意見交換をし、時に対立や、理解し合えない時もあるけれども、その間に「神さまの臨在する天幕(礼拝)」を置きながら、お互いに理解し合い、お互いに整えられていくのです。これが神の民の姿、教会の姿です。
 ヨハネの福音書1章14節に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とあります。今週も、対立する人間関係の間にイエスさまを置いて共に「約束の地」を目指しましょう。                 (吉持日輪生)