時を支配される神さま ― 2024年09月22日
エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。
エステル記2章16節
先週取り扱ったエステル記1章で起こった王妃ワシュティの王の命令を拒む出来事は、クセルクセス王の治世第三年のことでした。
クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。 エステル記1章2~5節
冒頭の引用個所と比べるとエステル記1章の出来事は、エステルが王妃として召し入れられる4年前のことになります。聖書は、エステルの年齢を記していません。しかし「未婚の娘たち」(2章2節)にとって4年という月日は、心身が大きく変化する時期です。ですから、もし王が王妃ワシュティの代わりの王妃を、エステル記1章の出来事からすぐ後に選んでいたら、エステルは王妃に選ばれなかったかもしれません。ここにも「時を支配される神さま」の臨在を覚えます。
そしてエステル記2章は、エステルが王妃となったことだけを記すのではなく、その最後にモルデカイの功績を記しています。その内容は、このような出来事が起こりましたと、淡々と記しているように読めますが、エステル記を読み進めていくと、この出来事がやはり「時を支配される神さま」の御業の中で、大事な出来事につながっていくこともわかります。
私たちも「時を支配される神さま」の御手の中で日々歩んでいます。私たちからすると突然のことと思える出来事も、全て神さまのご計画の一コマです。私たち人間がそのことに気付くのには時間がかかりますが、そのことがわかると「時を支配される神さま」の御名を、心からほめたたえることにつながります。
今週も「時を支配される神さま」に信頼し、期待し歩みましょう。
(吉持日輪生)
エステル記2章16節
先週取り扱ったエステル記1章で起こった王妃ワシュティの王の命令を拒む出来事は、クセルクセス王の治世第三年のことでした。
クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。 エステル記1章2~5節
冒頭の引用個所と比べるとエステル記1章の出来事は、エステルが王妃として召し入れられる4年前のことになります。聖書は、エステルの年齢を記していません。しかし「未婚の娘たち」(2章2節)にとって4年という月日は、心身が大きく変化する時期です。ですから、もし王が王妃ワシュティの代わりの王妃を、エステル記1章の出来事からすぐ後に選んでいたら、エステルは王妃に選ばれなかったかもしれません。ここにも「時を支配される神さま」の臨在を覚えます。
そしてエステル記2章は、エステルが王妃となったことだけを記すのではなく、その最後にモルデカイの功績を記しています。その内容は、このような出来事が起こりましたと、淡々と記しているように読めますが、エステル記を読み進めていくと、この出来事がやはり「時を支配される神さま」の御業の中で、大事な出来事につながっていくこともわかります。
私たちも「時を支配される神さま」の御手の中で日々歩んでいます。私たちからすると突然のことと思える出来事も、全て神さまのご計画の一コマです。私たち人間がそのことに気付くのには時間がかかりますが、そのことがわかると「時を支配される神さま」の御名を、心からほめたたえることにつながります。
今週も「時を支配される神さま」に信頼し、期待し歩みましょう。
(吉持日輪生)
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