瞑想の祈り ― 2018年09月23日
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
マタイの福音書8章26節
ジョン・カシアンの短い繰り返しの祈りは、どのような心構えで祈るべきかについて私たちに教えてくれます。そして、トマス・クランマーの祈祷書の祈りからは、聖書のみことばに基づき、祈りの言葉を綴るための具体的な方法を学ぶことができます。今回紹介する3つ目の祈りの伝統は、宗教改革以降の16-17世紀を中心に発展した「瞑想の祈り(Meditative Prayer)」です。瞑想の祈りは、私たちの想像力(imagination)を最大限に働かせて、聖霊なる神さまの助けを頂きながら、父なる神に近づき、イエス・キリストに心を集中させる祈りです。クリスチャンにとっての瞑想とは、神をより全人格的に愛し、神が私たちに望まれる生き方をするために、聖書と神の真理に沿って知性をもって熟考することを指します。1 この瞑想の祈りは、ローマ・カトリック教会の修道院の中だけではなく、プロテスタントの信仰と祈りの伝統の中にも取り入れられてきました。
フランシス・デ・セレス(1567-1622)は、瞑想の祈りについて優れた著作を後世に残した一人です。彼は当時、スイスのジュネーブの司教でしたが、プロテスタントがジュネーブを占拠していたため、フランスの中西部の小さな都市に住んでいました。16-17世紀に起こったカトリック教会とプロテスタントとの対立から一歩身を引き、瞑想の祈りを始めとする、数々のキリスト教霊性に関する著作を書き記しました。デ・セレスは瞑想の祈りの具体的な流れとして4つのプロセスについて説明します。1.心の準備(神の臨在の中に自分を置き、イエス・キリストが私のすぐ傍におられることを感じる)2.熟考(イエスの生涯を振り返り、まさに私が弟子の一人としてその場にいることを想像しながら、イエスの教えやその働きを思い巡らす)3.神の思いと決心(神さまが何を求めておられるか、私に聞き従うようにと願っておられる特定の事柄について考える)4.まとめ(神さまが語って下さたことに感謝し、具体的に示してくださったことを実行する力を与えてくださるように求める)瞑想の祈りはすぐに体得できるような簡単なものではなく、生涯をかけて取り組み、深めていく祈りでもあります。しかし、私たちはいつでも祈りにおいてアマチュア(専門家ではなく、学び続ける立場であること)であることを覚えながら、神さまから頂いた想像力を用いて、豊かな祈りの生活を経験させて頂きたいと思います。(笠川路人)
( 1 ジェームス・フーストン 「神との友情」 288頁)
マタイの福音書8章26節
ジョン・カシアンの短い繰り返しの祈りは、どのような心構えで祈るべきかについて私たちに教えてくれます。そして、トマス・クランマーの祈祷書の祈りからは、聖書のみことばに基づき、祈りの言葉を綴るための具体的な方法を学ぶことができます。今回紹介する3つ目の祈りの伝統は、宗教改革以降の16-17世紀を中心に発展した「瞑想の祈り(Meditative Prayer)」です。瞑想の祈りは、私たちの想像力(imagination)を最大限に働かせて、聖霊なる神さまの助けを頂きながら、父なる神に近づき、イエス・キリストに心を集中させる祈りです。クリスチャンにとっての瞑想とは、神をより全人格的に愛し、神が私たちに望まれる生き方をするために、聖書と神の真理に沿って知性をもって熟考することを指します。1 この瞑想の祈りは、ローマ・カトリック教会の修道院の中だけではなく、プロテスタントの信仰と祈りの伝統の中にも取り入れられてきました。
フランシス・デ・セレス(1567-1622)は、瞑想の祈りについて優れた著作を後世に残した一人です。彼は当時、スイスのジュネーブの司教でしたが、プロテスタントがジュネーブを占拠していたため、フランスの中西部の小さな都市に住んでいました。16-17世紀に起こったカトリック教会とプロテスタントとの対立から一歩身を引き、瞑想の祈りを始めとする、数々のキリスト教霊性に関する著作を書き記しました。デ・セレスは瞑想の祈りの具体的な流れとして4つのプロセスについて説明します。1.心の準備(神の臨在の中に自分を置き、イエス・キリストが私のすぐ傍におられることを感じる)2.熟考(イエスの生涯を振り返り、まさに私が弟子の一人としてその場にいることを想像しながら、イエスの教えやその働きを思い巡らす)3.神の思いと決心(神さまが何を求めておられるか、私に聞き従うようにと願っておられる特定の事柄について考える)4.まとめ(神さまが語って下さたことに感謝し、具体的に示してくださったことを実行する力を与えてくださるように求める)瞑想の祈りはすぐに体得できるような簡単なものではなく、生涯をかけて取り組み、深めていく祈りでもあります。しかし、私たちはいつでも祈りにおいてアマチュア(専門家ではなく、学び続ける立場であること)であることを覚えながら、神さまから頂いた想像力を用いて、豊かな祈りの生活を経験させて頂きたいと思います。(笠川路人)
( 1 ジェームス・フーストン 「神との友情」 288頁)
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