20140914 遣わされる神さま2014年09月14日

①そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
                             創世記11章4節
②こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。                      創世記11章8節
③神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。
                            創世記1章28a節
④それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。                    創世記9章1節

上記①②の聖書箇所は、旧約聖書中よく知られている「バベルの塔」の一節です。バベルの人々が塔を建てた理由は「われわれが全地に散らされないため」でした。一方神さまがバベルの人々を混乱させた理由は「散らすため」でした。これらの箇所からわかることは、③④の聖書箇所にある通り神さまは天地創造以来、またノアの大洪水後も「地を満たせ」と全地に広がっていくことを望まれています。それに対してバベルの人々は「全地に散らされたくない」と神さまの意志に対抗したのです。しかし、神さまは、ことばを混乱させ散らされました。
さて天地創造の時から「地を満たせ」と言われる神さまは、私たちをも「地を満たす」ために各地に派遣し、各地に散らされます。「散らされること」は寂しいことですが、このバベルの塔から学べることは、「地を満たす」ことへの神さまの強いご意志です。ですから教会も、人々が「集まってくること」だけを考えていると、神さまはどこかで介入され「散らされる」ことでしょう。そのようにならないために教会は、力強く宣教していくために多くの方々がここに集められてくることを願いつつ、それと同じくらいの思いで宣教のため、また伝道のために人々を送り出すことを考える必要があるのです。共に集まり、共に遣わされていきましょう。