20120617 愛は忍耐深い2012年06月17日

「 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」
              コリント人への手紙第一13章4節

 愛ある人になりたいと願うならば、寛容であることを学ばなければなりません。愛は寛容だからです。ここで使われている寛容と言う言葉は忍耐深いと言う意味です。自分の感情をすぐに爆発させるのではなく、時間をかけてその感情を取り扱うことです。この寛容という言葉は周りの状況、出来事に耐えるということより、むしろ人間関係の中で耐えることを意味しています。他の人から繰り返し、繰り返し迷惑をかけられても、たとえ不利益を被ることがあっても、尚怒らず、感情的にならない自制心を表す言葉です。他の人からひどいことをされたとき、十分に相手に仕返しをすることができるにもかかわらず、仕返しをしない人にこの言葉が用いられるのです。
 愛ある人になりたいと願うなら、愛が持つ寛容の性質を身に着けることです。神様の子イエス・キリストの十字架における愛の姿は私たちの模範です。何一つ罪が無かったのに残酷な十字架刑に処せられました。ローマの兵士たちによって鞭打たれ、茨の冠を被せられ、十字架に釘づけにされました。イエス様は十字架上でのその激しい苦しみの中で7つの言葉を語ったと記録されています。その最初に語った言葉はローマの兵士たちのための執り成しの祈りでした。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と神様に祈られたのです。イエス様はすべての人の罪のために、身代わりとして十字架にかかって死んでくださったのです。イエス様を十字架に付けたローマの兵士たちのためにも死んでくださったのです。
 神様は愛なるお方です。神様の忍耐は十字架上のイエス様の姿に映し出されています。罪に罪を重ねるこの世界にあって、神様は忍耐の緒を切らせて全人類を裁くためでなく、むしろ救うために御子イエス様を遣わし、イエス様の十字架を通して全人類の罪を赦すという道を備えてくださったのです。神様の私たちへの忍耐は偉大で大いなるものです。神様は寛容なお方です。私たちも寛容という愛を身に着けたいと願います。

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