神さまに信頼して歩み続ける ― 2025年06月08日
私は義をまとい、義は私をおおった。私の公正さは上着であり、かぶり物であった。
ヨブ記29章14節
ヨブ記29章は、ヨブの発言が続きますが、その内容はヨブの正しさ(義)が紹介されています。ヨブの正しさ(義)について、ヨブ記はヨブについて1章冒頭で「この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた」(1節)と紹介し、さらに神さまのサタンに対することばとしても「彼(ヨブ)のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」(8節)と表現されています。
そして今回29章では、ヨブの具体的な生きざまが数々紹介されていきます。圧巻なのは以下の個所です。
私は目の見えない人の目となり、足の萎えた人の足となった。私は貧しい人の父となり、見知らぬ人の訴訟を取り上げ、調べてあげた。また不正を働く者の牙を砕き、その歯の間から獲物を奪い返した。
ヨブ記29章15~17節
ヨブの「愛する姿」「隣人愛」を具体的に知ることができることばです。
私たちは、ヨブ記を読み進めながら教えられることは、神さまから見てどんなに「誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」と評価されても、またどんなに愛の実践が具体的に隣人になされていても、ヨブのような困難や、苦しみ、悲しみ、批判や、誹謗中傷に直面するということです。因果応報では説明できない出来事、状況に直面することを教えられます。
聖書は別の個所でこのように教えています。
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
ローマ人への手紙11章36節
どんなにクリスチャンとして真面目に生きていても、悪から遠ざかっていても、また愛の実践を行っていても、神さまの許しの中で困難や、苦しみ、悲しみ、批判や、誹謗中傷に直面しますが、私たちの信仰は必ず「神に至る」という希望です。
今週もどのようなことが起こっても、神さまに信頼して希望をもって歩みましょう。 (吉持日輪生)
ヨブ記29章14節
ヨブ記29章は、ヨブの発言が続きますが、その内容はヨブの正しさ(義)が紹介されています。ヨブの正しさ(義)について、ヨブ記はヨブについて1章冒頭で「この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた」(1節)と紹介し、さらに神さまのサタンに対することばとしても「彼(ヨブ)のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」(8節)と表現されています。
そして今回29章では、ヨブの具体的な生きざまが数々紹介されていきます。圧巻なのは以下の個所です。
私は目の見えない人の目となり、足の萎えた人の足となった。私は貧しい人の父となり、見知らぬ人の訴訟を取り上げ、調べてあげた。また不正を働く者の牙を砕き、その歯の間から獲物を奪い返した。
ヨブ記29章15~17節
ヨブの「愛する姿」「隣人愛」を具体的に知ることができることばです。
私たちは、ヨブ記を読み進めながら教えられることは、神さまから見てどんなに「誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」と評価されても、またどんなに愛の実践が具体的に隣人になされていても、ヨブのような困難や、苦しみ、悲しみ、批判や、誹謗中傷に直面するということです。因果応報では説明できない出来事、状況に直面することを教えられます。
聖書は別の個所でこのように教えています。
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
ローマ人への手紙11章36節
どんなにクリスチャンとして真面目に生きていても、悪から遠ざかっていても、また愛の実践を行っていても、神さまの許しの中で困難や、苦しみ、悲しみ、批判や、誹謗中傷に直面しますが、私たちの信仰は必ず「神に至る」という希望です。
今週もどのようなことが起こっても、神さまに信頼して希望をもって歩みましょう。 (吉持日輪生)
最近のコメント