偏ることなく、感情的になることなく2025年05月25日

私は、私の権利を取り去った神にかけて誓う。
私のたましいを苦しめた全能者にかけて。
私の息が私のうちにあり、 神の霊が私の鼻にあるかぎり、
私の唇は決して不正を言わず、 私の舌は決して欺くことを語らない。
                   ヨブ記27章2~4節

 ヨブに対して語られ続けたヨブの友人たちの発言の感情的なピークは、ヨブ記22章でした。ヨブは、友人テマン人エリファズから「あなたの悪が大きく、あなたの不義に際限がない」(ヨブ記22章5節)と語られます。一方、このような発言に対するヨブの反論と感情的なピークは、今回のヨブ記27章の冒頭で引用した個所のように思います。
 ヨブの友人テマン人エリファズがヨブに対して「あなたの悪が大きく、あなたの不義に際限がない」(ヨブ記22章5節)と語ることも偏っていますが、ヨブ自身が「私の唇は決して不正を言わず、私の舌は決して欺くことを語らない」と語るのも偏っています。
 このようなヨブとヨブの友人たちとのやり取りから見えてくることは、人間は本当に偏りやすい生き物だということと、もう一つは隣人からの感情的なことばに、感情的に応えてしまう生き物だということです。このように偏りやすく、感情的になりやすい私たちに聖書は、次のように語ります。

私たちがすでに指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。…
                   ローマ人への手紙3章9~10節(抜粋)

 このように神さまの前では「すべての人が罪の下」にあり、その点において神さまの前ではみな平等なのです。しかし聖書は、神さまの前で皆が罪人として平等であることを語るだけではありません。下記のようにも教えています。

すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。
                   ローマ人への手紙3章22節

 神さまの前で差別なく区別なく「イエス・キリストを信じる全ての人に神の義が与えられる」のです。今週も、みことばに親しみ、偏ることなく、また感情的になることなく、イエス・キリストを信じつつ平安な日々を歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)