クリスチャンの祈りの伝統から学ぶ2018年09月02日

さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」                     ルカの福音書 11章1節

 私たちは祈りを誰から学ぶでしょうか。教会学校の子どもたちに祈りを教える時には、まず、「天の父なる神さま」から始めて、祈りの終わりには、「イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。」と言いましょうと教えます。そして祈りの中身については先輩クリスチャンの祈りの言葉から学んできたでしょう。中には、祈りのテンプレートである「祈祷書」を持っているプロテスタントのグループも存在します。もちろん、聖書の中の祈りである、「主の祈り」や「詩篇の祈り」から、私たちはどのように祈ったらいいかを学ぶことが出来ます。新約聖書の手紙の中にある、パウロのとりなしの祈り(例:エペソ人への手紙3章14-21節)は、力強くかつ霊的であり、励ましに満ちた祈りの模範でもあります。
 しかし、祈りについて学ぶときに、過去2000年間のキリスト教の歴史の中で、数え切れないほどのクリスチャンたちが祈り続けてきた、祈りの数々を見過ごすことはできないでしょう。それらの代表的な祈りは、歴史の中で祈りの伝統となり、今も引き継がれています。もし、私たちが祈りについて深く学びたいと思うならば、聖書の中の祈りを学ぶと同時に、神のことばである聖書と向き合いながら、祈りの修練を積んできた聖徒たちの祈りからも多くを学ぶことができます。次回からは2000年のキリスト教の祈りの伝統から、5つの代表的な祈りを一つ一つ取り上げながら(※) 、祈りについて学ばせて頂きたいと思います。一つ目はジョン・カシアン(365-435)の短い繰り返しの祈り、二つ目はトマス・クランマー(1489-1556)の祈祷書の祈り、三つ目はフランシス・デ・セールス(1567-1622)の瞑想の祈り、四つ目はイグナチウス・ロヨラ(1491-1556)の良心の検討の祈り、そして五つ目は、マルティン・ルター(1483-1546)の主の祈りから学びます。(笠川路人)
  
(※)これらの5つの祈りの伝統はリージェント・カレッジ、ブルース・ハインドマーシュ教授の「5つの祈りの伝統」の講義内容から引用し、紹介します。

短い繰り返しの祈り2018年09月09日

神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。
                             詩篇 70篇1節

 初期のクリスチャンたちは、パウロの教えである「絶えず祈りなさい」(テサロニケ人への手紙第一5章17節)のみことばをどのように実践できるかを真剣に考えていました。どうしたら、目覚めてから一日中、そして1週間ずっと、「絶えず祈る」ことが出来るのか。この課題に挑戦したのが、ジョン・カシアン(365-435年)でした。カシアンは現在のルーマニアに生まれ、コンスタンチノープルで東方教会の輔祭(主教、司祭を補助する役)に任ぜられた後、西方教会(ローマカトリック)において修道僧となった人物です。当時は、ローマ帝国内のキリスト教国教化による教会の世俗化を嫌って、砂漠に逃れ、純粋な祈りの生活を送ろうとする修道僧が独自のコミュニティを作っていました。カシアンは、エジプトにある各修道院を7年間に渡って訪問し、15名の有名な修道僧に祈りについてのインタビューを行いました。その後、カシアンはインタビューの結果を、一つの本(英語名:The Conferences)にまとめました。
 カシアンの著作の中で、砂漠の有名な修道僧の一人、アバ・モーセは語ります。「神の国と永遠のいのちは祈りの生活の中にある。そして、イエス・キリストが山上の垂訓(マタイの福音書5章)で話された、心をきよくすることこそ、キリスト者が求めるべきことである。」もう一人の修道僧、アバ・イサクは、心をきよくするための具体的な祈りの言葉をカシアンに教えました。「『神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。』(詩篇70篇1節)のみことばこそが、私たちの感情のすべてを含み、どんな状況においても、すべての誘惑から私たちを守り、神さまの助けを感じ、不安と恐れから私たちを解放します。」シンプルな詩篇70篇1節のみことばを祈りの言葉として、私たちの生活のあらゆる場面において、神さまの助けを求める。これこそがジョン・カシアンが発見した短い繰り返しの祈りです。助けが必要な時、試練の中でこの祈りの言葉をいつでも繰り返すことができます。そして物事がうまくいっている時、何一つ不自由を感じない時も、「おごり高ぶりやプライドから守ってください。」という謙遜を求める祈りを捧げることができます。忙しい現代の生活においても、この一言のみことばの祈りを、私たちが直面する一つ一つの場面において祈らせて頂きたいと思います。次回はトマス・クランマーの祈祷書の祈りを紹介します。(笠川路人)

祈祷書の祈り(集祷)2018年09月16日

主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。
詩篇86篇6節                  

教会は歴史を通して、公的にもしくは私的に祈るための言葉を「祈祷書」として整えてきました。祈祷書を通して、私たちは様々な状況においてどのように祈ったらいいかを学ぶことが出来ます。祈祷書の中で有名なものの一つに、英国国教会のカンタベリー大司教であったトマス・クランマー(1489-1556)が完成させた聖公会祈祷書が挙げられます。トマス・クランマーは祈祷書の元となる祈りの数々を「The Collects」(集祷集)としてまとめ、祈りについての形を示しました。集祷(Collect)とは、一つの形式を持った祈りで、一つの聖書のみことばを用いて、形式に沿ってバランスよく組み立てられる祈りです。一般的な集祷の流れですが、
1. 呼びかけ(神さまの御名を呼ぶ)
2. 教理(みことばの教え、神さまはどのような方か、何をしてくださったか)
3. 請願(私たちの現在の必要について)
4. 熱望(将来に対する希望について)
5. 頌栄(神さまの御名をほめたたえ、アーメンで終わる)
の5つの内容から成ります。例えば、詩篇1篇を集祷の形式で祈ると、「(1)全能なる神さま、(2)あなたの御子イエス・キリストは真に幸いな人です。(3)今日一日、私を力づけてください。罪人の道に歩むよりも、喜びを持ってイエス様の道を歩むことができますように。(4)それは私が水路のそばに植えられた木のように、イエス様の祝福を受けて、どんな時も実を結ぶことができますように。(5)イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」集祷の特徴は「過去→現在→未来」の流れを持ち、テーマとなる一つのみことばからの教えと、教えに基づいた願いと希望について祈ります。祈祷書において集祷を祈ることによって、私たちはみことばからどのように祈るべきかを知ることができ、みことばの黙想から祈りを行う訓練を頂くことができます。それでは次回はフランシス・デ・セールスの瞑想の祈りについて学びます。(笠川路人)

瞑想の祈り2018年09月23日

イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。  
                           マタイの福音書8章26節 

 ジョン・カシアンの短い繰り返しの祈りは、どのような心構えで祈るべきかについて私たちに教えてくれます。そして、トマス・クランマーの祈祷書の祈りからは、聖書のみことばに基づき、祈りの言葉を綴るための具体的な方法を学ぶことができます。今回紹介する3つ目の祈りの伝統は、宗教改革以降の16-17世紀を中心に発展した「瞑想の祈り(Meditative Prayer)」です。瞑想の祈りは、私たちの想像力(imagination)を最大限に働かせて、聖霊なる神さまの助けを頂きながら、父なる神に近づき、イエス・キリストに心を集中させる祈りです。クリスチャンにとっての瞑想とは、神をより全人格的に愛し、神が私たちに望まれる生き方をするために、聖書と神の真理に沿って知性をもって熟考することを指します。1 この瞑想の祈りは、ローマ・カトリック教会の修道院の中だけではなく、プロテスタントの信仰と祈りの伝統の中にも取り入れられてきました。
 フランシス・デ・セレス(1567-1622)は、瞑想の祈りについて優れた著作を後世に残した一人です。彼は当時、スイスのジュネーブの司教でしたが、プロテスタントがジュネーブを占拠していたため、フランスの中西部の小さな都市に住んでいました。16-17世紀に起こったカトリック教会とプロテスタントとの対立から一歩身を引き、瞑想の祈りを始めとする、数々のキリスト教霊性に関する著作を書き記しました。デ・セレスは瞑想の祈りの具体的な流れとして4つのプロセスについて説明します。1.心の準備(神の臨在の中に自分を置き、イエス・キリストが私のすぐ傍におられることを感じる)2.熟考(イエスの生涯を振り返り、まさに私が弟子の一人としてその場にいることを想像しながら、イエスの教えやその働きを思い巡らす)3.神の思いと決心(神さまが何を求めておられるか、私に聞き従うようにと願っておられる特定の事柄について考える)4.まとめ(神さまが語って下さたことに感謝し、具体的に示してくださったことを実行する力を与えてくださるように求める)瞑想の祈りはすぐに体得できるような簡単なものではなく、生涯をかけて取り組み、深めていく祈りでもあります。しかし、私たちはいつでも祈りにおいてアマチュア(専門家ではなく、学び続ける立場であること)であることを覚えながら、神さまから頂いた想像力を用いて、豊かな祈りの生活を経験させて頂きたいと思います。(笠川路人)       
            ( 1 ジェームス・フーストン 「神との友情」 288頁)

良心の検討(examen)の祈り2018年09月30日

主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。     詩篇 139篇1節 

 1549年に来日したフランシスコ・ザビエルは、イエズス会の創設者の一人であり、自ら宣教師としてスペインから日本まで福音を伝えに来ました。当時、世界中に宣教師を派遣し、福音を宣べ伝えていったイエズス会の拡大と成長の秘訣は何でしょうか。その答えの一つにイエズス会の宣教師が習慣としていた、良心の検討(examen)の祈りがあげられます。この良心の検討の祈りは、宣教師たちの信仰を励まし、苦難の中においても持続的な宣教活動を進めて行くための力となりました。
 良心の検討の祈りについては、イエズス会のもう一人の創設者であるイグナチウス・ロヨラがその著作の中で説明しています。それは5つのプロセスから成る祈りです。
1. 想起(Recollection)神さまの臨在の中にいることを覚え、聖霊の助けを祈ります。
2. 感謝(Thanksgiving)一日の中で嬉しかったことや特別に思うことを感謝します。
3. 考査(Examination)一日を1時間単位で振り返ります。心の状態(考え、やる気、気持)や、発言した内容について、そして元気だった時、疲れを覚えた時を確認します。更に、1日の中で神さまの存在がどうであったか、神さまについての理解が深まった瞬間があったかを確認します。起こった出来事一つ一つの中で、神さまとどこで出会ったのか、そして、祈りとみことばが1日の歩みの中でどう働いたかについて振り返ります。最後に神さまの臨在を妨げるものが何であったかを確認します。
4. 悔い改め(Contrition)自分の心の中にある「罪」を気づかせてくださったことを感謝しつつ、神さまの愛に応えることが出来なかったことを悔い改めます。神の子どもに与えられるイエス・キリストの、罪に対する勝利と赦しを確認します。
5. 決心(Resolution)過去を振り返り、これからの未来を聖霊なる神さまの働きに委ねます。自分の弱さや足りなさからキリストにある喜びと希望に導いてくださる神さまに信頼します。
ロヨラの説明では、1日の中で3回(朝、昼、夜)、良心の検討の祈りを行い、その内容について前日、前々日、(もしくは前週、前々週)と比較し、継続的に罪や課題について取り扱います。現代に生きる私たちにとって、ロヨラの勧めの通りに1日3回、1時間単位での気持ちや行動を振り返ることは、かなり難しいことでしょう。しかし、1日の終わりの祈りの時間に、静まって自分の心の状態について振り返る時間を持ち、心の中にある課題や示された罪の解決を継続的に祈っていくことは、私たちの信仰の成長の励ましになることを覚えたいと思います。(笠川路人)