20160522 旧約聖書の原語2016年05月22日


心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。申命記6章5節

前回は、旧約聖書を「順序通り」読みましょうということでしたが、今回は、旧約聖書の原語について見ていきたいと思います。私たちは、現在、日本語の聖書を読むことができますが、旧約聖書は、元々、ヘブライ語※で書かれています。中には、アラム語で書かれた箇所もありますが、大部分はヘブライ語です。つまり、日本語の聖書は翻訳された聖書なのです。そのため、元々のヘブライ語と日本語とでは、意味やニュアンスにおいて多少の違いが生まれる箇所があります。訳すときに、どうしても訳しにくいことがあるのです。これは、日本語と英語にもあてはまります。例えば、日本語の「よろしくお願いします」は、英語には訳しにくいと言われています。日本語では様々な場面で「よろしくお願いします」を使いますが、それを英語に訳そうとすると、場面ごとに違う文章に訳し分けなければなりません。このようなことは、日本語とヘブライ語でも起こるのです。
その一つが、上の聖書箇所です。上の箇所では、〇〇を尽くして、神を愛せよと、「尽くす」「愛する」と2つの動詞があります。しかし、ヘブライ語を直訳すると、「全ての心で、全ての魂で、全ての力であなたの神である主を愛しなさい。」となります。つまり、「尽くす」という動詞はないのです。このように、日本語とヘブライ語では意味やニュアンスが異なることがあるのです。
私の名前は「尽主(つくす)」ですが、上の聖書箇所に由来する名前です。主に尽くす人になるようにという思いが込められています。しかし、旧約聖書の原語のヘブライ語では、「尽くす」という動詞はありません。そのため、私の名前は、聖書的な名前だけど、聖書的ではないという、何とも微妙な立場の名前なのです。そんな自虐ネタはさておき、今回、覚えておきたいのは、日本語とヘブライ語では多少の意味の違いがあるということです。上の箇所はほんの一例であり、他にもたくさんの箇所があります。その幾つかを次号からお分かちできればと願っています。
※旧約聖書が書かれた時代のヘブライ語のため、現代のヘブライ語とは異なります。                      (吉持尽主伝道師)