神さまと向き合い続ける ― 2025年06月15日
それなのに、今や私は彼らの嘲りの的となり、その笑いぐさとなっている。彼らは私を忌み嫌って遠く離れ、私の顔に向かって情け容赦なく唾を吐きかける。
ヨブ記30章9~10節
ヨブのことばは、ヨブ記30章でも続きます。そこにはヨブの素直で悲痛な叫びが記されています。ヨブ記29章に記されていたヨブのこれまでに続いて、今、まさに神さまの許しの中ではありますが、ヨブが受けている苦しみの日々から生じる痛み、悲しみがヨブ記30章には記されています。
冒頭に引用した個所は、ヨブの悲痛な叫びの一部です。このような今の状況に対して、ヨブ記29章では、まったく違うヨブの経験が記されていました。
私は町の門に出て行き、広場に自分の座る所を設けた。すると、若者たちは私を見て身を引き、年老いた者も起きてまっすぐに立った。首長たちは話すのを控え、手を口に当てた。君主たちの声もひそまり、その舌は上あごについた。
ヨブ記29章7~10節
「広場に自分の座る所」があり、「若者たち」も、「年老いた者」も、ヨブに敬意を表していたにも関わらず、今は、「嘲りの的」「笑いぐさ」「忌み嫌って」「唾を吐きかけられ」という状況です。しかしヨブは、神さまと向き合い続けます。このような状況を呪い、神を呪い、神さまの前から遠く離れていくこともできたでしょうが、ヨブは神さまに向かい、神さまに叫び、神さまに訴え続けます。
私があなたに向かって叫んでも、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。あなたは、私にとって残酷な方に変わり、御手の力で、私を攻めたてられます。あなたは私を吹き上げて風に乗せ、すぐれた知性で、私を翻弄されます。 ヨブ記30章20~22節
私たちも、ヨブのように順風の時も、逆境の時も、神さまと向き合い続けたいものです。神さまと向き合うとは、神さまをいつも賛美することではなく、神さまの前に赤裸々な自分を見せ続けることでしょう。
今週も、「時が良くても、悪くても」(テモテへの手紙第二4章2節)神さまと向き合い歩み続けましょう。 (吉持日輪生)
ヨブ記30章9~10節
ヨブのことばは、ヨブ記30章でも続きます。そこにはヨブの素直で悲痛な叫びが記されています。ヨブ記29章に記されていたヨブのこれまでに続いて、今、まさに神さまの許しの中ではありますが、ヨブが受けている苦しみの日々から生じる痛み、悲しみがヨブ記30章には記されています。
冒頭に引用した個所は、ヨブの悲痛な叫びの一部です。このような今の状況に対して、ヨブ記29章では、まったく違うヨブの経験が記されていました。
私は町の門に出て行き、広場に自分の座る所を設けた。すると、若者たちは私を見て身を引き、年老いた者も起きてまっすぐに立った。首長たちは話すのを控え、手を口に当てた。君主たちの声もひそまり、その舌は上あごについた。
ヨブ記29章7~10節
「広場に自分の座る所」があり、「若者たち」も、「年老いた者」も、ヨブに敬意を表していたにも関わらず、今は、「嘲りの的」「笑いぐさ」「忌み嫌って」「唾を吐きかけられ」という状況です。しかしヨブは、神さまと向き合い続けます。このような状況を呪い、神を呪い、神さまの前から遠く離れていくこともできたでしょうが、ヨブは神さまに向かい、神さまに叫び、神さまに訴え続けます。
私があなたに向かって叫んでも、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。あなたは、私にとって残酷な方に変わり、御手の力で、私を攻めたてられます。あなたは私を吹き上げて風に乗せ、すぐれた知性で、私を翻弄されます。 ヨブ記30章20~22節
私たちも、ヨブのように順風の時も、逆境の時も、神さまと向き合い続けたいものです。神さまと向き合うとは、神さまをいつも賛美することではなく、神さまの前に赤裸々な自分を見せ続けることでしょう。
今週も、「時が良くても、悪くても」(テモテへの手紙第二4章2節)神さまと向き合い歩み続けましょう。 (吉持日輪生)
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