20120513 父と母を敬う2012年05月13日

「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」                    申命記5章16節

 5月の第二日曜日は母の日として、毎年私たちの教会の礼拝の中でお母さんたちを敬い、感謝を込めて小さなプレゼントを差し上げています。この母の日は1908年、アメリカのウエストバージニア州グラフトンの町で始まりました。アンナ・ジャービスさんはお母さんが亡くなった後、お母さんに十分感謝してこなかったことに心を痛めました。そこでお母さんが20年間日曜学校で教えていた教会の牧師にお願いして、お母さんへの感謝を表す礼拝を持つことになりました。その話を聞いた教会の人々も賛同して、それぞれのお母さんへの感謝を表すために一緒に礼拝を持つことになったのです。このことはグラフトンの町にある諸教会でも行われるようになり、瞬く間にアメリカ全体でも行われるようになりました。そして今日世界中で母の日が行われるようになったのです。
 さて、敬うとはどういうことでしょうか。それは相手の尊さ、価値を認めることです。そして、ただ認めるだけでなく、敬うことが本物になるためには、実際に行動を通して相手を尊く扱うことによって示されるのです。生まれたばかりの赤ちゃんはただ自分のことばかりです。しかし少しずつ成長していくに従って、母親に対して反応していきます。つまり相手の存在を認め、聞き分けるようになります。それは相手を尊ぶことを学び始めるからです。母親に従うことによって、自分が世界の中心でないことを学ぶのです。神様は私たちがまず家庭で父と母を敬うことを学んで欲しいと願っています。「あなたの父と母を敬え」と命じておられることは大切な点です。親が敬われるにふさわしいから敬うのではありません。神様が人に尊い価値を置いておられるゆえに私たちは人を敬うのです。そのことをまず家庭で父と母を敬うことを通して学ぶのです。家庭でそのことを
学んだ人は社会に出ても祝福された人生を歩むことができると聖書は約束しています。

20120520 家族のように他の信者と関わる2012年05月20日

「 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
マルコの福音書3章35節

 キリストの教会の歩みの中で、信者は互いに兄弟、姉妹と呼び合ってきました。たとえば、田中兄弟とか鈴木姉妹とか呼び合ってきました。これは教会が神の家族であることを表しているのです。西洋のことわざに、「血は水よりも濃い」とあります。血縁ほど絆の強いものは無いと言う意味です。しかし、聖書的視点に立って見るとき、霊的な絆、すなわち神の家族と呼ばれている教会の交わりの方がはるかに長持ちし、永続する強い絆であることが分かります。血縁の家族は地上においてだけです。また地上においても決して最後まで一緒にいられるわけではありません。成長に伴い、離ればなれになったり、死んだりします。一方、神の家族である信者同志は永続する関係の中に置かれているのです。もしあなたがイエス様を信じ、イエス様の弟子であるなら、あなたは神の家族の一員であり、互いに兄弟、姉妹と呼び合う間柄なのです。その関係が地上だけでなく、永遠の命の中にあっても続くのです。
 さて、このように教会において神の家族であることは、私たちは兄弟姉妹であるということです。それは家族に対してするように教会の兄弟姉妹にも関わるべきことを意味しています。もし教会の兄弟姉妹が問題や試練に直面しているならば、私たちもともにその問題のために祈り、助け合うことが求められています。教会の年配の兄弟は私たちの父であり、年配の姉妹は私たちの母でもあります。私たちは年配の方々を敬い、重んじていかなければなりません。人生の先輩からの助言にも耳を傾けていくべきです。また若い兄弟は私たちの弟であり、若い姉妹は私たちの妹でもあります。私たちは若い人々に対して愛を持って接し、良きアドバイザーであるべきです。教会に与えられている幼い子どもたちは私たちの息子、娘、また孫たちでもあります。彼らを慈しみ、可愛がり、教会全体で育んでいかなければなりません。教会は神の家族です。最も深い絆で結ばれた霊的な家族です。

20120527 私のすべてを知っておられる神様2012年05月27日

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」
詩篇139篇1~2節

 神様は私たちのすべてをご存じのお方です。この事実を私たちが知るとき、私たちの生き方は大きく変わっていくのではないでしょうか。また少し違った者になれるのではないでしょうか。新約聖書へブル人への手紙4章13節にこう書いてあります。「 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」
 神様が私たちの人生について知っておられる事のいくつかを取り上げてみましょう。第一に、私たちの悩み悲しみのすべてを知っておられることです。詩篇56篇8節に「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。」とあります。神様は私たちが流す涙をしっかり受け留めていてくださるお方だというのです。私たちは「私の苦しみはだれにも分からない」と言うときがあります。しかし聖書は言います。神様はあなたの苦しみをよく知っていると。私たちが傷つくとき、また孤独を感じているとき、神様は私たちの気持ちを知っていてくださるお方です。
 第二に、神様が私たちの過ちや失敗の数々を知っておられることです。私たちは過ちを犯したとき、すぐにそれを隠そうとします。しかし聖書は言います。「 自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」神様はいつも私たちを見ておられるのです。私たちは過ちをすぐに認めることです。神様は私たちのことをよく知っておられ、無条件で赦してくださるお方です。
 第三に、神様は私たちの未来についても知っておられることです。聖書は言います。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。」神様は私たちが直面することをすでに知っておられるのです。私たちはいつも神様の前に歩んでいることを心に刻むべきです。