神さまを慕い求める2023年11月05日

彼はアサの前に進み出て、言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ、私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨てるなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。     歴代誌第二15章2節

 上記引用箇所の中に「もし、あなたがたがこの方(神さま)を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます」と書かれています。このアザルヤの預言のことばに励まされた結果を、聖書は次のように記しています。

しかし、苦しみの中で、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を慕い求めたところ、主は彼らにご自分を示してくださいました。 
 歴代誌第二15章4節

ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。それは、彼らが心のすべてをもって誓いを立て、ただ一筋に主を慕い求め、そして主がご自分を彼らに示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。
                   歴代誌第二15章15節

 このような神さまは、「ご自分を示す」お方であり、「ご自分を彼らに示される」お方です。このような神さまの姿は、歴代誌だけではありません、エレミヤ書にも、次のように記されています。

あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。 
                   エレミヤ書29章13節

 聖書の神さまは、目で見たり、手で触れたりはできないけれども、私たちが、神さまを求める時、探し求める時、慕い求める時、ご自分を示してくださるお方です。今週も、聖書の神さまを慕い求めつつ歩みましょう。(吉持日輪生)

「アサ」が来た!2023年11月05日

彼は異教の祭壇と高き所を取り除き、石の柱を砕き、アシェラ像を切り倒し、ユダの人々に命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。彼はユダのすべての町から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼のもとに平穏であった。(中略)主が彼に安息を与えられたので、当時数年の間、国は平穏を保ち、彼と戦う者はいなかった。         歴代誌第二14章3~6節

 ソロモン王の息子レハブアム王から始まった南王国(ユダ)の王は、その後レハブアム王の子アビヤ、アビヤ王の子アサへと引き継がれていきます。歴代誌第二14章は、そのアサ王の時代のことが記されています。
 アサ王は、冒頭引用した通り「異教の祭壇と高き所を取り除き」「石の柱を砕き」「アシェラ像を切り倒し」(3節)、「町から高き所と香の台を取り除き」(5節)と、天地万物を造られた神さまに目を向けられるように様々なものを「取り除き」「砕き」「切り倒し」た王さまでした。そしてその結果、「王国は平穏であった」(5節)、「安息を与え」「国は平穏を保ち」(6節)と記されています。
 私たちも、このアサ王に学ぶとしたら、聖書の神さまに目を向けるために妨げとなっているものを「取り除き」「砕き」「切り倒す」ことです。そして聖書の神さまとの関係を整えることです。その時、そこに「平穏」「安息」が生まれてきます。
 しかも歴代誌第二14章では、アサ王の軍(ユダの兵30万人、ベニヤミンの兵28万人)に対して、クシュ人ゼラフの軍は「100万人の軍勢」「300台の戦車」という圧倒的に軍力の差、軍力の違いがある戦いに対して、神さまはアサ王の祈りに応え、勝利へと導いてくださいます。
 この出来事は、昔話、過去の話ではありません。今も、天地万物を造られた神さまとの関係を整えるならば、私たちにも「平穏」と「安息」の「朝が来る(アサが来る)」のです。今週も、神さまとの関係を整え、真っ直ぐに神さまを見上げ、信仰の歩みを進みましょう。(吉持日輪生)

神さまからの豊かな関わり2023年10月22日

ヤロブアム王の第十八年に、アビヤがユダの王となり、エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はミカヤといい、ギブア出身のウリエルの娘であった。アビヤとヤロブアムの間には戦いがあった。        
                          歴代誌第二13章1~2節

 今日の個所からレハブアム王の子どものアビヤが南王国(ユダ)の王さまになります。それが北王国(イスラエル)のヤロブアム王の第18年のことであったと聖書は記しています。この時期の聖書記述が、読み手を混乱させる理由の一つは、まさに今回のように南王国(ユダ)の王さまのことを、北王国の王様の在位時期で表現するからです。
 アビヤの父レハブアム王の時代も、ヤロブアム王と戦う場面が記されていましたが、その際は「神の人シェマヤ」を通して神さまから「上って行ってはならない。あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない」と忠告され、争いは回避されました。しかし、今回は回避されず、争いに進みます。しかし戦力の差、戦術の差は明白でした。南王国(ユダ)のアビヤには精鋭40万人の勇敢な戦士がいましたが、一方北王国(イスラエル)のヤロブアムには80万人の精鋭の戦士がいました。しかもヤロブアムは、アビヤにわからないように背後に伏兵を配置する戦術をとっていました。そしてこの戦力、戦術の差により、南王国(ユダ)アビヤの軍は、前後から北王国(イスラエル)ヤロブアムの軍に攻められますが、その時の南王国(ユダ)アビヤの軍のとった行動が記されています。

ユダが向き直ると、なんと、戦いは前後から迫っていた。そこで、彼らは主に叫び求め、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。
                        歴代誌第二13章14節

 神さまは、その叫びに応えてくださり南王国(ユダ)アビヤの軍を勝利に導かれます。神さまは、南王国(ユダ)アビヤの軍を通して、当時のヤロブアムの元で大きく神さまから離れてしまった北王国(イスラエル)を裁かれたのです。北王国(イスラエル)は、ヤロブアム王のもと偶像「金の子牛」を造り、さらに「アロンの子らである主の祭司たちとレビ人を追放」し、「だれでも若い雄牛一頭と雄羊七匹をもって祭司職につくことができる」ようにしていましたが、そのことへの神さまの裁きがなされたのです。
 聖書を読んでいると、聖書が記す神さまは、様々な方法で私たちに関わられるお方であることがわかります。今週も、神さまからの豊かな関わりをしっかり受け止め、素直に悔い改め、神さまと共に歩みましょう。      (吉持日輪生)

素直さを忘れない2023年10月15日

レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。        歴代誌第二12章1節

 先週触れた通り、レハブアム王は、「王位が確立し、強くなると」主の律法を捨ててしまいます。そのようなレハブアム王に神さまは、預言者シェマヤを遣わし、下記のように伝えます。

そのとき、預言者シェマヤが、シシャクのことでエルサレムに集まっていたレハブアムとユダの首長たちのもとに来て言った。「主はこう言われる。『あなたがたがわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨てて、シシャクの手に渡した。』」                歴代誌第二 12章5節

 預言者シェマヤは、神さまのおことばとしてレハブアム王に「わたし(神さま)を捨てたので」と伝えていますが、冒頭引用箇所(1節)の記述は「彼(レハブアム)は主の律法を捨て」とあるだけです。この微妙な違いから「主の律法を捨てること」(1節)=「主を捨てること」(5節)なのだということが分かります。
 レハブアム王は、そのことを預言者シェマヤを通して神さまから指摘された時、言い訳をしませんでした。

すると、イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った。
                    歴代誌第二12章6節

 レハブアム王は、確かに「王位が確立し、強くなった」のでしょうが、神さまの前での素直さまでは失いませんでした。
 私たちも、レハブアム王のように、いつまでも神さまの前に素直でありたいものです。今週も、神さまの前に素直に悔い改め、素直に祈り、素直に喜びつつ歩みましょう。                  (吉持日輪生)

日々「新しくされた者」として歩む2023年10月08日

すると、神の人シェマヤに次のような主のことばがあった。「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、および、ユダとベニヤミンに属する全イスラエルに告げよ。『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、ヤロブアムを目指して進む行軍を中止して、引き返した。                      
                歴代誌第二 11章2~4節

 ソロモンの子レハブアムは、ここに記されている通り、ヤロブアムと争うことをやめ、行軍を中止して、引き返しています。この大事な行軍を取りやめた理由は、上記に記されている通り「神の人シェマヤ」を通して語られた「主のことば」に耳を傾けたからです。
 レハブアムのこの姿勢は、歴代誌第二10章に記されている「父ソロモンに仕えていた長老たち」の意見を退け、「自分とともに育った若者たち」の助言を聞き入れた出来事から考えると、とても意外に思えます。そこには、「自分とともに育った若者たち」の助言、「自らの強さを誇るアプローチ」への反省が背景にあったのかもしれません。そのことは、その後レハブアムが、「力を誇る」方法ではなく、「防備」に力を入れたという記述からも、方向転換を読み取ることができます。
 しかし、来週取り上げる歴代誌第二12章に記されているレハブアムは「彼(レハブアム)が強くなると、彼は主の律法を捨て」と、律法に耳を傾けず、律法から離れていきます。
 このような変化は、レハブアムだけのことではありません。新約聖書、ヨハネの黙示録2章には、「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」(ヨハネの黙示録2章4節)と、「初めの愛から離れてしまった」エペソ教会のことが紹介されています。
 私たちも、レハブアムのように、またエペソ教会のように、最初の思い、姿勢を忘れ、離れてしまわないように、常に「新しくされた者」として歩ませていただきましょう。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
                     コリント人への手紙第二5章17節
                               (吉持日輪生)

神さまのことばに従う2023年10月01日

レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするために、シェケムに来ていたからである。ネバテの子ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてエジプトに逃れていたが、レハブアムのことを聞いたとき、ヤロブアムはエジプトから戻って来た。                      歴代誌第二 10章1~2節

 イスラエル王国は、ダビデ王、ソロモン王の時代以降、混沌としていきます。まさに今回の歴代誌第二10章も、その傾向が現れています。上記引用箇所冒頭に記されている「レハブアム」は、ソロモンの息子です。一方その次に記されている「ヤロブアム」は、列王記第一11章に記されていた人物で、彼はソロモンの家来でしたが、ソロモンに反逆し、ソロモンから殺されそうになりエジプトに逃れていた人です。その二人がここで対面しています。しかもそこには列王記第一11章26節以降に記されていた預言者アヒヤの預言も関係していました。

アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。
      列王記第一11章30~31節

 そしてこの預言が、歴代誌第二10章で現実のこととなります。そのことを聖書は次のように記しています。

(レハブアム)王は民の願いを聞き入れなかった。神がそう仕向けられたからである。それは、かつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられたことばを主が実現されるためであった。          歴代誌第二10章15節

 ヤロブアムが、どれくらいの期間エジプトに逃れていたのか分かりませんが、神さまは預言者アヒヤを通してヤロブアムに伝えた預言のことばを忘れてはいませんでした。しかしこのような神さまのことばの確かさを経験しながらも、その後のヤロブアムの歩みは、神さまのことばに背く歩みとなっていきます。
 私たちは、聖書に記されているこのような出来事からしっかり学び、神さまの約束のことばを握りしめ、神さまのことばに従う者となりましょう。 (吉持日輪生)

神さまの栄光は伝わる2023年09月24日

ときに、シェバの女王は、ソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試そうと、非常に大勢の従者を率い、バルサム油と多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。               
                           歴代誌第二 9章1節

 今回取り上げる歴代誌第二9章の内容は、列王記第一10章にも記されています。2022年5月1日の「恵泉」(週報)に列王記第一10章の文章を掲載していますが、そこで取り上げたのは「666」という数字でした。
 今回は「シェバの女王」について取り上げたいと思います。「シェバ」とは、「今日のサウジアラビヤの中心(一説では西南)地方を指す古代名」(新聖書辞典)と説明されています。エルサレムからサウジアラビアの首都リヤドへの移動をGoogle mapで検索すると、車で16時間、徒歩で514時間と表示されました。しかも興味深かったのは車の経路はほぼ直通の道が表示されるのですが、徒歩になると「クウェート」「イラク」、すなわち「ユーフラテス川」沿いの道が表示されたことでした。恐らくシェバの女王もユーフラテス川沿いのルートでエルサレムを訪れたことでしょう。そうなると514時間の道のりは、1日12時間移動したとしても約43日、約1カ月半かかることになります。冒頭引用箇所に「大勢の従者」「バルサム油と多くの金および宝石をらくだに載せて」とありますので、もしかするとさらにかかったかもしれません。
 さらにこの移動ルートは、創世記のアブラハムが約束の地に移動する時のルートであり、イエスさまが誕生された時に訪れた「東方の博士たち」もこのルートでエルサレムに来たのではと言われています。
 ソロモンの栄華を目の当たりにしたシェバの女王は、このように語っています。

彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について
聞き及んでいたことは、本当でした。私は自分で来て、自分の目で見るまでは、彼らの言うことを信じなかったのですが、なんと、私にはあなたの知恵のすばらしさを半分も知らされていなかったのです。あなたは、私が聞いていたうわさを上回る方でした。…」
                          歴代誌第二9章5~6節

 ソロモンが受けた神さまからの栄光の知らせが、遠くシェバの女王にまで届いたように、イエスさまが身をもって成し遂げてくださった神さまの救いの御業も、時代を越え、地域を越えて伝わっています。これからも伝えられていきます。今週も、この素晴らしい救いの道を誰かに伝えていきましょう。     (吉持日輪生)

ソロモン時代の平和2023年09月17日

ソロモンが主の宮と自分の宮殿を二十年かけて建て終えたとき、
                           歴代誌第二 8章1節

 ソロモン王の生没年は、はっきり聖書から読み取れませんが、聖書辞典などでは紀元前990年頃に誕生し、紀元前931年に亡くなったと記されています。そうなると約60年間の生涯の内、40年間が王の在位期間で、その在位期間の20年間が神殿と宮殿の建築期間になります。つまり全生涯の3分の1が神殿と宮殿の建築期間で、全在位期間の約半分が神殿と宮殿の建築期間となります。この状況をどのように見るのかは、それぞれの見方があるでしょうが、私はこの個所を調べながら、「シャローム(平安、平和)」から名付けられた「ソロモン」らしい生涯なんだと感じました。
 特に私たちは、2022年2月24日以降、ロシアによるウクライナ攻撃の映像に日々触れ続けています。その映像の中には、多くの建物が破壊されていく場面が流れています。まさに「戦争」は破壊であり、「平和」は生み出すことであり、再生なのでしょう。そのことを思い巡らすと、ソロモン王時代の平和な状況が、まさに神殿と宮殿建築に現れているのです。
 今回取り上げている歴代誌第二8章には、神殿と宮殿建築のことだけでなく、「ヒラムが彼に返した町々を建て直し」(2節)、「荒野にタデモルを建て、倉庫の町々をすべてハマテに建てた」(4節)と記されています。
 しかし、人は確かに「戦争の時」「平和な時」で様々な影響を受けますが、ダビデ王、ソロモン王から教えられることは、人は置かれている環境が「争いの時」「平和な時」でも、その環境、その状況に関係なく、罪人であることです。争いに満ちたダビデ王も罪を犯し、平和に満ちたソロモン王も罪を犯しています。
 ですから聖書はこのように教えています。

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限
りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 
                        テモテへの手紙第二 4章2節

 今週も、みことばにたって日々歩みましょう。 (吉持日輪生)

恐ろしい経験から生まれる賛美2023年09月10日

ソロモンが祈り終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主の栄光がこの宮に満ちた。
                           歴代誌第二 7章1節

 「天から火が下って来て」とありますが、このことがどのような状況だったのかを考える時、私たちの経験と私たちの知っている自然現象で想像するならば、雷が落ちるような出来事でしょうか。そのように考えると、「そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた」(歴代誌第二5章13節後半)とあり、さらにこの記述の数節後には「そのとき、ソロモンは言った。『主は、黒雲の中に住む、と言われました。』」(歴代誌第二6章1節)とあります。つまり「主の宮」に満ちた「雲」は、「黒雲」だったということですから、「落雷」の可能性も感じます。実際、神さまがなさることですから「落雷」とは別のものだったかもしれませんが、「落雷」でさえ恐ろしいものなのに、「落雷」のような形で、冒頭引用個所にあるように、「全焼のささげ物と数々のいけにえ」が焼き尽くされることは、恐怖でしかなかったと想像します。
 その上で冒頭引用個所の続きを読むと、聖書はこのように記しています。

イスラエルのすべての人々は、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現れたのを見て、膝をかがめて顔を地面の敷石に付け、伏し拝んで、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主をほめたたえた。 
                          歴代誌第二 7章3節

 この展開には驚きを覚えます。「落雷」のような恐ろしい経験をした後、民は「主はまことにいつくしみ深い、その恵みはとこしえまで」と主をほめたたえているのです。私たちはどうでしょうか。私たちは、恐ろしい体験をする時、神さまの裁きを覚え、恐れてしまいます。しかしこれからは、まず神さまをほめたたえることを大切にしましょう。「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と。 (吉持日輪生)

「心を尽くして」(14節)2023年09月03日

(ソロモンは…)こう言った。「イスラエルの神、主よ。天にも地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。
        歴代誌第二 6章14節

 上記引用箇所後半に「心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です」とある。ここで使われている「心を尽くして」は、旧約聖書で有名な申命記6章4~5節にも登場する表現であり、またイエスさまも引用していることばです。

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。                          申命記 6章4~5節

 実は、今回取り上げている歴代誌第二6章には、「心」がたくさん登場しています。「私の父ダビデの心にはいつも」(7節)、「あなたの心にはいつも」(8節)、「心を尽くして」(14節)、「その心をご存じです」「すべての人の子の心をご存じだから」(30節)、「心のすべて」(38節)とある通りです。
 サムエル記第一16章7節後半に「人はうわべを見るが、主は心を見る」とある通り、聖書の神さまは心を見られ、心を探られるお方です。しかし同時に、誰かの「心」と、誰かの「心」とを比較するお方ではありません。ですから「心を尽くして」(14節)も、誰かの「心」と比べて、誰かよりも「尽くして」と語っているのではありません。例えば8節で主(神さま)は「あなた(ダビデ)の心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった」と書かれています。ダビデは、順調な時も、そうでない時も、力ある時も、年を重ね弱さを覚える中でも、心を尽くして神殿建築の準備をしたのです。このようなことを思い巡らす時、「心を尽くして」とは、私たち日本人が使う「精一杯」に近いように感じます。誰かと比べて、または誰かのように「がんばる」のではなく、ただただ神さまの前に与えられている時間、与えられている健康、与えられている体力の中で「心を尽くして御前に歩む」(14節)とは、「精一杯御前に歩む」ということでしょう。
 今週も、どのような状況の中にあっても、与えられている心の状況、心の状態の中で「精一杯の心」をもって神さまの御前に歩みましょう。    
(吉持日輪生)