約3千年前の「祈り」2022年04月17日

あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、今日、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。そして、この宮、すなわち「わたしの名をそこに置く」とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。
                       列王記第一 8章28~29節

 ソロモン王は、紀元前10世紀頃に活躍した人物ですが、その時代のイスラエル人たちの祈りの姿勢がここに記されています。
 「この宮の中にある、あなたの祭壇の前」(31節)での祈り、「この宮」(33節)での祈り、「この場所(宮)に向かって」(35節)の祈り、「この宮に向かって両手を伸べ広げて」(38節)の祈り、また「あなたの民イスラエルの者でない異国人」(41節)の祈り、「捕らわれて行った地」(47節)での祈りなどが記されています。それと同時に「あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください」(30節)と「祈り」を聞かれるのは、天においてであることも記されています。
 これらの「祈り」、つまり今から約3千年前の「祈り」の姿勢を読む時、私だけでなく、ほとんどのクリスチャンは、何も違和感を覚えないことでしょう。それ程に、聖書の神さまへの「祈り」は、神さまに造られた人間に本質的に与えられている姿勢なのです。
 私たちも、「教会」での祈りだけでなく、「神さまの御住まいの天」に向かっての祈りを、どこにいても献げます。「祈り」は、いつでもどこでも献げることができるものであり、また同時にその献げられた「祈り」を神さまは、天において聞いてくださいます。
 けれども旧約聖書時代に神殿(宮)での祈りを大切にしていたように、また新約聖書時代に「会堂」での祈りを大切にしていたように、私たちも「会堂」での祈りを大切にしていきたいと思います。コロナ禍の中、様々なことがオンラインで参加できる時代になりましたが、それでも可能な限り「会堂」に身を置き、礼拝を献げ、祈りを献げるのは、私たちの救い主イエスさまが、受肉してこの世に来てくださったことが原点です。イエスさまが、この世にいらしてくださったことへの私たちにできる応答の一つとして、これからも「会堂」に身を置いての礼拝、祈りを大切にしていきましょう。                     (吉持日輪生)

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